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文化的消費活動の日記

筋トレを1年間続けてみたが、そろそろ限界かもしれない

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前回報告からまた半年経過。筋トレをほぼ毎日やりだして1年ぐらい経過したが、はじめの半年ぐらいで劇的な変化が終わってしまい、その後、はっきりとわかるような変化がなくなってしまった(写真)。筋トレの先達曰く「ここから先に進むには脂肪が乗るのを恐れず食事量を増やしつつ、挙上重量を少しずつ上げていくしかない」とのことである。つまりはもう限界なのである。

それで最近は「ダンベルを買うか、ジムにいこうか……」みたいなことを考えながら、ひとまず筋トレのやり方をスロー・トレーニングにシフトしてみたり、公園の鉄棒を使って背筋鍛えるメニューを取り入れたりしている。正直、モチベーションがあがっていない。

以下に最近のルーティーンなどを書き起こしてみる。

筋トレ

www.freeletics.com

筋トレはすべてこのアプリで管理している(課金してるが、アプリが組んでくれるトレーニングメニューは一切やってない)。

プッシュアップ

プッシュアップバーを使って、手と手の間隔を肩幅の1.5倍ぐらいに開いてプッシュアップ。10回を4〜5セット。これをやった次の日は、プッシュアップバーを使わず、手と手の間隔を極限まで狭めてダイアモンド・プッシュアップ。10回を4〜5セット。これを交互に繰り返し。

ACTIVE WINNER プッシュアップバー

ACTIVE WINNER プッシュアップバー

 

シットアップ

ほぼ毎日。腹筋用のマットを使ってゆっくり25回を2〜3セット。 

背筋

鉄棒使って3日に一度ぐらい斜め懸垂。10回を3〜4セット。背筋が弱すぎて全然できない。

下半身

ルフレイズを25回を2〜3セット。ランニング中に捻挫してからやりはじめた。雨などで走れない日・ちょっと寝坊してランニングにいけなかった日はスクワット25回を2〜3セット。

有酸素

ランニング中心。基本は平日の朝5km、休日に10kmぐらい。起きれない日もあるので平均でいうと週に15〜20kmぐらいの走れれば上出来なほう。月に100km走るのが基本的な目標値。

食事・サプリなど

普段の食事(甘いだけのものを間食でとらない。平日は付き合い・仕事じゃないかぎり飲酒しない。基本的にランチはお弁当)、プラス、プロテインを朝と晩に。低脂肪乳に溶かして。あと仕事中に小腹がすいたら、プロテインがはいったチョコレートバーを食べたりしている。が、トレーニングの量に対してタンパク質の摂取量が多いような気がしないでもない。

エクスプロージョン ホエイプロテイン 3?(約100食分) ミルクチョコレート味 国産

エクスプロージョン ホエイプロテイン 3?(約100食分) ミルクチョコレート味 国産

 

プロテインはこれが結構安くて、味もそこそこ美味しい(朝はインスタントコーヒーを混ぜて飲んでたりする。スタバの甘いドリンクみたいな感じで美味い)。

ON BCAA 1000 200粒カプセル 海外直送品

ON BCAA 1000 200粒カプセル 海外直送品

 

あとアミノ酸サプリメントも夜2錠・朝2錠で飲んでる。劇的な効果はわからないが、休日に10kmぐらい走って夕方に「なんか疲労がいつもより残ってる感じがあるな」というときに追加で2錠飲んでみると2時間後ぐらいに「あれ? なんか疲れぬけてる?」と思う時がある。

あとビオフェルミンも。プロテイン飲んでてなんかめちゃくちゃおならが臭くなったりしたので。飲み続けてたら問題が改善された。 

……とこんな感じ。有識者の方がいらっしゃいましたらなにかアドヴァイスやコメントなどをいただけると幸いです。こういうトレーニングが良いよ、とか、こういうアイテムが良いよ、とか。

三谷太一郎 『日本の近代とは何であったか: 問題史的考察』

 

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

 

「アジアのなかでの日本」を考えてみたくなり、そのテーマ設定の一環で手にとった一冊。政党政治、資本主義、植民地主義天皇制を問うべき問題に設定して日本の近代を振り返った本。日本政治外交史の偉い先生(刊行当時80歳を超えてる)が書いてあるのだが、これは正直「大先生の本」、と言わざるをえない。自分の好みの問題が多分にあるけれども「ですます」体の文章とどこに話を持っていくのかよくわからない論述スタイルが読みにくくて仕方ないし(全然頭に入ってこない。Amazonレビューの評価が異常に高いのはなぜだ……)、なんか日本の近代史がスッとわかりそうなタイトルなのに全然わかんなかった。

冒頭「そもそも近代ってなんなんすかね」ってことで、ウォルター・バジョットを参照しているのだが、ここもまとめ方がよくわかんない。バジョットは近代と前近代のメルクマールに「議論による統治」を置いているらしいのだが(前近代は慣習によって支配された世界とされる)「前近代にも議論による統治はあった(古代ギリシャとか)」とか蒸し返し(?)てて、どっちなんだよ! と混乱する。

sekibang.hatenadiary.com

『新・韓国現代史』ぐらいスッとはいってくる近現代歴史の新書はないものか……。完全に今回は読む本を間違えた。初学者にはややこしいし、全然オススメできない。面白い部分もないことにはないんだけど……一言でいうとダルい!! エピローグ的な終章でも「原発事故は戦後日本の近代化の挫折であり……」みたいな雑な感想を述べていてより印象が悪くなった。

フミコフミオ 『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』

 

まずは、ご恵投いただいたことへの感謝を(ありがとうございました)。インターネットを通じて出会ってもう10年ぐらいかそれ以上のお付き合いの友達がこうして単著を出されてブレイクしていることは、フミコさんの前歯がブレイクした瞬間に立ち会った者として大変うれしく思っております。

一体どういう本なんだろう、どういう切り口で紹介したら良いんだろう、と読了して少し悩んでしまうような本。自己啓発本ではない(章のタイトルや見出しのタイトルは無理やり自己啓発っぽい感じになってるけども)し、役立つ情報があるわけでもない。あるのは普通の会社員・管理職・配偶者にいろいろと握られてしまっている男性のボヤキである。

その一方で、矢継ぎ早に繰り出される引用フレーズの面白さや文章のキレはブログと変わらずだ。「よーく考えよう お金は大事だよ」とか、コレなんだっけ……と思ってしまう部分も多々。調べたら15年ぐらい前のCMが元ネタで「これ、ギリギリ通じないんじゃねーの」とツッコミたくもなる*1。ところどころで同じ会社員としてめちゃくちゃわかる部分があって、そこも良かったな*2

 「なんなんだろう、この本」といういわく言い難い感じは全然収まっていないんだけれど、それがフミコさんという人の本質、とも言えるのかもしれない。本文中では「普通の会社員・管理職・配偶者にいろいろと握られてしまっている男性」として一貫しつつも、見返しにいきなりブコウスキーの引用(あとがきでもブコウスキーへの言及がある)があってカッコ良すぎるし……。

*1:そのCMに出ていた矢田亜希子は、その後、お金の前にいろいろと考えさせられることがあったと思う。

*2:普段、仕事の悩みについてボヤキあったりしているから余計に。普段からの付き合いもあるから、一般読者としては全然読めていないわけである。

向井雅明 『ラカン入門』

 

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

 

こないだ読んだロザリンド・クラウスの本ラカンが援用されてて全然わからなかったのをきっかけに、ちゃんとこういうのを読めるようなってみたいな、と思って『ラカン入門』を。自分のブログの過去ログを漁ってみたらこれで入門っぽい本を読むのが3冊目らしい。もはやラカン入門のベテランの域に達しているといえよう。

全体は3部にわかれており、1部で前期ラカンラカンのテクニカル・タームの基本を説明し、2部で中期ラカン、3部で後期ラカン。分量としては1部と2部が同じぐらいで、3部は短め。全体の感想だけ先に述べておくと、1部は自分にはすごくよくわかりやすかったが、2部以降はいつもラカンを援用した文章を読むたびに感じる「なにいってんだ」という感じに途中でなってしまい、息切れ、力尽きた。あと索引がないのが、何度も読むためにはちょっと使いづらい……。

でも1部はホントに「見えるぞ、私にも敵が見える」って感じになった。それは千葉雅也とかを去年ぐらいから短いスパンで読んできたこともあると思うし(とくに『意味がない無意味』)、あと息子という、言語習得の真っ最中であり、非コギト的主体(自律した自我によって統一された意識的主体、のようにまったく見えない存在)と暮らしているせいもあると思う。ちなみに息子は現在、母親にべったりの時期であり、わたしになにかをされることをすごく嫌がる。父による去勢脅迫の段階のようである。

ひとつ漠然とした理解をえたものとしては、精神分析っていうのは「なんでこういうことをしてしまったんだろう」という事柄に対してなにか答えを与えてくれる、ようなものなのかな、と。子供の行動をみてると「なんで!?」っていうことばっかりだけど、そういうことって大人でもあるし、それって結局、意思ではうまく説明できないことなんだよな。

読みながらバカの一つ覚えのように、ものごとをラカンの言葉で分析したくなったのはご愛嬌、ということで……。

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sekibang.blogspot.com

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村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』(再読)

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

7月は約45km走り、8月は約100km、9月も約100km走った。走るのは平日の朝4時半ぐらいから。毎朝4時頃におきるとルーティーン的な筋トレをして5km走って帰って、シャワーを浴びる。その後、自分の弁当を作ったり、息子の食事を作ったり、余裕があれば読書やピアノの練習の時間をとることもある。休みの日は子供が昼寝をしているあいだに10km走る。日常的な飲酒癖がものの見事に復活してしまい*1、ボディメイクの増量期からの体重減のスピードがめっきり遅くなってしまったから、重い腰をあげて再開したランニングだが、結果的に良い生活のリズムを作ることができている。

走るタイムも少しずつ縮んできたし(レースにでるわけではないのだから、とくに走るスピードを求める必要はないのだが)体重の減少も順調そのもの……だったのだが、いつものパターン*2でまた足を故障して走れない期間に入ってしまった。赤信号が青に変わるのを足踏みをして待ちながら、音声入力で上司へSlackを返す、みたいなことをやっていたら、アスファルトの窪みに気づかず、強めに左の足首を捻って捻挫をしてしまったのだ。故障するのは、決まって左だ。

早くランニングを再開したいなぁ、今履いているシューズを履きつぶして新しいシューズが欲しいなぁ、という気持ちが高まるなかで、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み直した。故障中に読んだせいか、本書のなかで筆者が故障について語る部分が目につく。

「ほとんどケガや故障をしたことがない」という筆者が、レース直前に右膝に違和感を感じる、という箇所。「違和感を感じる」という表現はスポーツ・ニュースでもよく耳にするから、人口に膾炙した表現、と言えるだろう。この違和感を筆者が「痛みを示唆する感覚」と言い換えているところに、そうそう、と膝を打つ。痛いわけではない、痛くなりそうな予感のようなもの。わたしの左の足首、の外側にある感覚がまさにそれだ。走っている人にしかわからない感覚がよく掘り下げられて書いてある本だよな、ということを改めて思った。

関連エントリー

gnabikes.hatenablog.com

*1:平日は付き合いがなければほとんど飲まない。

*2:わたしのランニング生活は、順調そのものと故障による中断を永遠に繰り返すようなのである。昨年末・今年初もスピード練習のしすぎで左足の靭帯が炎症。その前は左の膝の靭帯を。

『グロービスMBA クリティカル・シンキング』

 

社会人向けの大学院のテキスト。クリティカル・シンキング = 「ビジネス・パーソンに必要な、現場で役立つ思考力」だそうで。 論理的思考力(状況を的確に把握し、問題の本質を見つけ出す)、思考プロセスを伝える力、他者との意見の違いを見分ける力が身につく、らしい。内容はコンサルティング・ファームの新人研修とかででてきそうな話。いかに偏見や誤解を排除し、漏れなくダブりなく思考を展開していくかのケース・スタディとその手法について説明されている。ピラミッド・ストラクチャーとかフレームワーク思考とか。こういう思考ツールは使ってナンボ、のところがあるので読んだだけじゃわからない。同類の本はいくつもあると思うので、もっとライトなものでも良いかもしれないし、じっくりと取り組むにはこのぐらい冗長でも良い気がした。

今更こういう本を読みはじめたのも成長意欲・学習意欲が高い若手社員を集めて勉強会でもやるか、と思い立ったからなのだった。あまり本を読み慣れていない人もいると思うので、丁寧にレジュメを切って内容の理解を促し、クリティカル・シンキングの実践トレーニング(プレゼン付で)をしてもらおうかな、と思っている。試行展開なのでうまくいくか全然わからないけれども。「成長したいです」って口だけの人も多いなかで結構な人数の若い衆が集ってくれたから、ワイワイとやっていきたい気持ち。

石川美子 『ロラン・バルト: 言語を愛し恐れつづけた批評家』

 

「そういえば、フランス現代思想に興味をもったのも、鷲田清一の『モードの迷宮』のなかで触れられたロラン・バルトだったかもしれないなー(たぶん高校2年生ぐらい)」とか最近思い出していたのだけれども、バルトの著作はただの一冊も読んだことがないのだった。

で、最近になって千葉雅也とかロザリンド・クラウスの本とかで、バルトの名前に触れる機会があり「そろそろ、ちゃんと読んでみる時期なのかもしれない……」と、まずは入門書的なものを。 バルトの生涯を追いながら、その思想・テクスト(あるいはテクストの生み出し方)の変遷について解説した本。コンパクトにまとまっていてありがたい。

一言で言うならば、ロラン・バルトの多動力。これが「いまの気分」的な感じだったのだよな。文学、音楽、演劇、絵画、ファッション……さまざまなものを取り上げてて、じゃあ、専門ってなんなの、バルトってなんの人なの、って感じなのだが、このふわっとした感じ、定まらない/定めない感じが、今っぽい。育成環境も、貧窮と裕福を行ったり来たりしてたみたいで、そういう引き裂かれた感じ、が影響してんのかな〜、と思ったりする。

これから著作の方も読み進めていきたい。プルーストの再読も再開したい気持ちに。