7月は約45km走り、8月は約100km、9月も約100km走った。走るのは平日の朝4時半ぐらいから。毎朝4時頃におきるとルーティーン的な筋トレをして5km走って帰って、シャワーを浴びる。その後、自分の弁当を作ったり、息子の食事を作ったり、余裕があれば読書やピアノの練習の時間をとることもある。休みの日は子供が昼寝をしているあいだに10km走る。日常的な飲酒癖がものの見事に復活してしまい*1、ボディメイクの増量期からの体重減のスピードがめっきり遅くなってしまったから、重い腰をあげて再開したランニングだが、結果的に良い生活のリズムを作ることができている。
走るタイムも少しずつ縮んできたし(レースにでるわけではないのだから、とくに走るスピードを求める必要はないのだが)体重の減少も順調そのもの……だったのだが、いつものパターン*2でまた足を故障して走れない期間に入ってしまった。赤信号が青に変わるのを足踏みをして待ちながら、音声入力で上司へSlackを返す、みたいなことをやっていたら、アスファルトの窪みに気づかず、強めに左の足首を捻って捻挫をしてしまったのだ。故障するのは、決まって左だ。
早くランニングを再開したいなぁ、今履いているシューズを履きつぶして新しいシューズが欲しいなぁ、という気持ちが高まるなかで、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み直した。故障中に読んだせいか、本書のなかで筆者が故障について語る部分が目につく。
「ほとんどケガや故障をしたことがない」という筆者が、レース直前に右膝に違和感を感じる、という箇所。「違和感を感じる」という表現はスポーツ・ニュースでもよく耳にするから、人口に膾炙した表現、と言えるだろう。この違和感を筆者が「痛みを示唆する感覚」と言い換えているところに、そうそう、と膝を打つ。痛いわけではない、痛くなりそうな予感のようなもの。わたしの左の足首、の外側にある感覚がまさにそれだ。走っている人にしかわからない感覚がよく掘り下げられて書いてある本だよな、ということを改めて思った。