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柳澤健 『1984年のUWF』

 

1984年のUWF

1984年のUWF

 

結局、この著者の本って「プロレスのドキュメント」というよりかは「プロレスという枠組みの思想史」なんじゃなかろうか、と思う。過去の雑誌記事、関係者への取材をもとに「リアルファイトを見せる(と言いながら、実のところプロレスだった)UWF」の思想を描こうとする。選手・団体のフロント 、表と裏の人物が多数登場する群像劇ではあ。、本書のなかで大きな筋を作る人物を整理すると、以下の通り。

  • カール・ゴッチ(ショーとしてのプロレスを否定し、技術を見せるレスリングを目指したが人気がなく挫折。技術を買われて新日本プロレスのトレーナーに)
  • 藤原喜明(ゴッチの指導を受け、関節技の技術を習得するも花がないのでずっと前座レスラー)
  • 佐山聡(天才。タイガーマスク。プロレスに憧れたが、ショーとしてのプロレスに不満を抱き、自分で考えた新しい格闘技を世に出そうと奔走)

そして、前田日明である。本書における前田の評価は後述。

ストーリー的には、新日本プロレスにおける金をめぐるイザコザ(アントニオ猪木の事業の失敗)で揉めて独立した団体、UWFが、ゴッチの思想を受け継いだ「リアルな格闘技」を標榜して活動をはじめるが全然上手く行かない。そこに天才、佐山が登場。一躍脚光を浴びることになるが、佐山はもともと自分のやりたいことをやれればそれでいいので、団体経営が良くなくなったときに決裂、独自の道に進むことになる。残されたUWF残党は、佐山を追い出した側であるにも関わらず、佐山が考えたことを真似して短命なムーヴメントを作ろうとした……、みたいな感じで整理できるだろうか。

本書における前田の評価は徹底的に低い。体がデカく柔軟性があるが、観客を魅了するような試合ができない典型的な「しょっぱいレスラー」であり、本人にはオリジナリティある思想は一切なく、カリスマ的な人気を得たのも佐山のアイデアをパクっただけ、という扱いであり、挙句の果てに自分の人気や実力を勘違いして最終的には団体の分裂・崩壊を招く悪の元凶として描かれる。ホンモノは天才、佐山。前田はニセモノ。この対比が本書を通底しているのであるが、いささかバランスが悪い。佐山の天才についてはわかった、けれど、天才過ぎて全然理解できない部分、そこに本書は足を踏み入れていない。

結論的には、UWF総合格闘技のブームを生み出す架け橋になったのだ、というところは『1976年のアントニオ猪木』と同じ。そしてUWFが生まれたきっかけも本を正せば、アントン・ハイセルの失敗なのだからアントニオ猪木こそが総合格闘技の源流論的な一冊とも言える。わたし自身は総合格闘技にほぼ興味がないので、この結論が一番どうでもいいかもしれない。

「プロレス = 結末が決まったショー」、「総合格闘技 = スポーツと並べられる真剣勝負」という対比や、本書でも重要な点として語られる「プロレスを真剣勝負だと思ってみている人たちの目線」みたいなものも含めて、どうでも良い(UWFもリアルタイムじゃないし……)。ただ、妬み嫉みや金で揉めてるところの人間模様がとにかく面白い本だし、あと天才でありながら佐山の影響範囲の狭さ(アントニオ猪木と比較しての)ってなんなんだろうな、って考えてしまった。猪木と佐山にどんな違いがあったのか、このへんもう少し掘ってみたい。

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