sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年5月18日、あるいはヒゲダン

 起床

6時過ぎ。相変わらず痒みで何度か起きる。湿度が高いが気温が高くないからまだ不快じゃない。福島の夏の朝はこんな感じ。筋トレ、背中、腹筋。

近くでシジュウカラの鳴き声がうるさいくらい。

Zガンダム」の録画を観る。クワトロがカミーユに殴られる名シーン。しかし、その前のハヤトとのやりとりがすごく良かった。その後の戦闘シーンで空中で変形するアッシマーに驚くクワトロの顔も良かったし、ロベルトが死んだ後のアポリーの表情も良い。

幼稚園にHを送って仕事。

 
 
 
 
 
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5km。あまり心拍を気にせず好きに走った。こないだから気になっていたヒゲダンを聴いてみる。かなり良い。大事なことはInstagramで書いてしまったが、このキーボードの人がアレンジも全部やっているのだとしたら天才なのでソロ活動して欲しいと思う。

ずっとヒゲダンを聴きながら仕事をしていた。

 そうそう。この「Cry Baby」という曲がキテレツで驚いたのだ。サビに、え、こんな風にメロディをつなぐのか、という天才的なひらめきを感じる。宇多田ヒカルでもよく出会う驚き。アレンジ的にはR&BQueenの折衷か。


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Hを迎えに行き、買い物をして帰る。夕飯は買ってきたお惣菜で準備。糖質ゼロビール、麦焼酎

ストレッチ。

 
 
 
 
 
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新しいキーボードが届いたのでセッティング。テンキーなしでもまぁまぁデカい。そして机の天板の歪みをダイレクトに食らってしまっている。設置場所によってはかなりぐらつくのでベストポジションを探した。スイッチで入力のためのキーの深さを変更できるのが思いがけず便利(一番軽い設定にした。付属の部品を使うことによってさらにキーの戻りが早くなって高速タイピングが可能になるらしいのだが、キーを全部外して仕込む必要があり、それは面倒でやめた)。

 『哲学の歴史』6巻のメモ

 ダランベールディドロの章。この章、やや癖がある書きぶりだなと思ったら(今日の若者の状況に話を還元しながら彼らの生涯を説明している)、佐々木健一が執筆していた(しかし、なぜか執筆者一覧に名前がない)。ダランベールの生い立ちの紹介で「貴族の私生児として生まれ、捨て子されたところを危うく救われ、やがて事情を知った父親から手厚い庇護を受けた」(P. 496)とある。そんな漫画みたいなことあるんだ、と驚愕。
ディドロの思想の核となったものとして、ディドロが仏訳をてがけたシャフツベリーの議論が紹介されている。「快と美徳(公共的な善を求める本能的傾向性)が一致する、という世界観」、「以後、これを立証し、描き出し、説得することが、彼の全活動を導いてゆく」(P. 503)。個人的なものと公共的なものの一致。
さらにはディドロ無神論について。「無神論を確信するのに必要なのは、世界の秩序を、作者としての神という以外の原理によって説明することのできる理論である。これをディドロは、自然哲学の課題として追求してゆく」(P. 504-505)。これは結構すごい話だ。神以外の秩序を支えるもの。それを導くプログラムにおいて美学が重要視されるという。