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文化的消費活動の日記

トマス・ピンチョン 『V.』

トマス・ピンチョン、1963年発表の処女長編を新訳で読む(旧訳は学生時代に読んだ、と思う)。行きあたりばったりで人間としての主体性を失った木偶人間、ベニー・プロフェインと、謎の女「V.」を追うハーバート・ステンシル、ふたつの大きな物語の軸で展開される百科全書的ミステリー……と一般的には紹介されているんだろうか。発表当時、25歳。当時はGoogleWikipediaもない時代にこのような話を書いてしまった、という歴史的な重要性はもちろんあるだろう。たしかにすごい。

しかし、本作を改めて読みながら「ピンチョンとか、もう俺はどうでも良いかな……」と急速に冷めていた。奇しくも最近山形浩生さんがピンチョンの近作に対する失望のようなものを書かれていたけれど、それとはまったく別なレベルで、端的に「すごいのはわかるけど、このグチャグチャについていける体力は、俺にはもうないです」みたいなギヴ・アップ宣言のようなものをしたくなってしまう。

V. をマクガフィンにした偏執的/妄想的なストーリー展開のなかで、面白いパートを抜き出して楽しむことはできる(ところどころに盛り込まれる暴力的描写は、ピンチョンの全作品のなかでも最も陰惨だ)けれど「ここまで読ませておいて、結局なんなの?」って小説である。これは『重力の虹』についても同じことが言える。小説でありながら、アンチ小説的、というか。それってぜんぜん今の気分じゃないなぁ……。

話は変わってごく個人的な驚きについても書いておく。1907年に北京からパリへを目指す超長距離自動車レースが開かれている。この出来事を知った時にわたしは「おー、なんかめちゃくちゃピンチョンっぽい話だな!」と思って当時の記録をまとめた本を買い求めてたんだけれど、本作のなかでピンチョンがこのレースに言及していたのだった……!

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