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文化的消費活動の日記

ウラジーミル・ナボコフ 『ディフェンス』

ナボコフの「初期の傑作」に位置づけられる作品。自身もチェス・プロブレム作家であった作家がチェスを題材に選んだものだが、チェスを一切わからなくても大いに楽しめるだろう……というか、別に題材がチェスである必然性があるわけではなく(自閉症めいた)主人公が世界を観る(象徴界を構成する)言語として選んだのがチェスだっただけで、もちろん技巧を凝らした表現のなかでは、チェスの象徴的な白と黒の升目のイメージが執拗に繰り返されるのだけれども、その言語は音楽であっても良かったはずだ、この作品のなかでの音楽の役割は、主人公にチェスという遊びの存在を気づかせたのがヴァイオリニストだった、というだけでなく、主人公とライヴァルの対局の様子を表現する手段としても利用されている。チェスも音楽も、文章ではまるでその素晴らしさは表現しきれない(翻訳不能なもの)ものだけれど、その翻訳不能なものの掛け合いが素晴らしい効果を生んでいる。

ベルリンの亡命ロシア人向けの雑誌に本作が掲載されたのが1929年〜30年。『失われた時を求めて』の第7篇が出版されたのが1927年(プルーストの没年は1922年)。ほぼ同時代の作品、と言っていいだろう。『ディフェンス』における意識の流れや記憶のモチーフ、あるいは幼年期の扱い方(チェスに出会う前はとことん惨めな生活を送る主人公ではあるが、ロシアの農村の風景や郷土的なものは美しい思い出のように描かれているように思う)は、プルーストによく似ている。あるモチーフが、しれっと(とくにストーリーに影響をあたえるものではなく)再登場するところも記憶の意識への現れ方そのもの(そのモチーフのコスり方の上手さが笑える)。『失われた時を求めて』の短縮版のような小説……のひとつでもあると思うし、その短縮版の破滅 Ver.とも言える。チェスを通して世界を観、そしてその世界に喰われて終わる。世界を構築していたはずの言語によって滅ぼされる主体の追い込まれる様子は、ロシア文学、って感じでもある。主人公に憐れみをかける女性にもロシア文学の、というか、19世紀文学(フロベールとか)的な感じがする。『ロリータ』より全然こっちのほうが面白くないすか?