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読んだ本などの記録

今福龍太 『クレオール主義』

クレオール主義―パルティータ〈1〉 (パルティータ 1)

クレオール主義―パルティータ〈1〉 (パルティータ 1)

 

文化人類学者、今福龍太の主著。1991年に初版刊行以降、改訂や改版を繰り返して来た本の「完全版」ということらしい。ラテンアメリカを中心にさまざまな言語や文化が混じり合った土地についての考察が集まっている。

失われた景観がそこにある。
それは、歴史とよばれる嵐が無垢だった土地の上にひとときの幻影にも似た繁栄をよびこみ、やがて非常に立ち去っていったあとに残された瓦礫のような光景だ。喧騒から静寂への急激な変化が、土地に住む人々の耳に夢のような幻聴をもたらし、隣人の消滅は人々の舌を凍りつかせ、夕暮れの飼い犬たちを寡黙にさせた。衰退と喪失のイメージが色濃くたちこめるなかで、土地の風景は歴史によって荒廃を深め、断片化され、それが本来持っていた「意味」を鋭く変容させられていった。

はじめてこの本を手に取ったとき、その語り口に強く惹かれたのだった。土地の風景や、人々の暮らし、そしてそこで問題視される権力の問題、それらが語り進められると同時に喚起されるイメージの豊饒さがたいへん魅力的な本である。

本書で日本のことが語られることはない。けれども、ここでの非中心的なまなざし、というか、疎外されたものへの視線、マイナーなものに対する言葉に触れていると、いま、我々が自分たちの住んでいる国に言及するときに、無視されているものが自然と意識にあがってくる。「日本」、「日本人」を語るときに、その言葉でくくられているもの(逆に、そのくくりから外されているもの)はなんなのか。それを明確にすることによって、いかなる権力がそこで働いているかも明確にすることができる。