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山本芳久 『トマス・アクィナス: 理性と神秘』

 

トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)

トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)

 

大変勉強になりまくる本であった。13世紀を代表する西洋知識人であろうトマス・アクィナスに関する新書。彼が主題となる新書は本邦初であるらしい。とにかく「トマスのテクストは魅力的なんですよ」、「トマスはすごく面白いんですよ」と伝えたい著者の気持ちが文章から伝わってきて、その勢いにつられて、グイグイと感動的に読めてしまう。常軌を逸した多作家であるトマスを愉しんで読む方法を逐一提示してくれている。

執筆スタンスも良い。トマスが扱うテーマは現代人にとって馴染みがないものがほとんどであるし、聞いたことがない概念も頻出する。そもそも、トマスの著述スタイルそのものが研究者以外にはよくわからないものであろう。それを変に易しくしようとして空回ってしまったり、無視して話を進めたり、ということなく、丁寧に説明してくれるのが本書のストロング・スタイルだ。

たとえば、

不要だと思われるものを捨てようとして、最も大事なものまで、ともに失われてしまう可能性があるのだ。そうして得られる「分かりやすさ」は、真の分かりやすさではない。

さらには、

七百年以上前の人物であるトマスの残したテクストに「現代的意義」があるとすれば、それは、現代にも通用しやすい角度から、すなわち現代的な観点から都合のいい箇所を恣意的に選別してトマスの残した言葉を読むことによって見出されるのではなく、トマスにとって何が問題であったのかと言う観点から、残されたテクストの全体を丁寧に読み解くことによって初めて見出せるからだ。

これですよ。この強い態度が『アウグスティヌス』との違いを生んでいるのか。

引用の後者においては、古典的な哲学のテクストを現代的に読むときにとられがちなある種の態度に対する批判が含まれているように思う。筆者がとるのは、トマスを使ってなにか言う、ではなくて、トマスがないを言っていたかからなにかを言う、というアティテュードであろう。

中世哲学といえば「針の上で天使が何人踊れるか」的な、世俗から離れたタコツボ的問答をやっているイメージがあるかもしれない。が、本書は先に触れたアティテュードによって、トマスの思想をモダンな問題意識のなかで生き生きと書き換えることに成功している。同時に世間一般に考えられているキリスト教に関する誤解を含んだイメージを払拭しつつ、その真髄を垣間見せてくれる。

読みながら思い出していたのは、アダム・タカハシさんによるアウグスティヌスの読解であった。タカハシさんの論考と並列で読むことで、本書におけるトマスとアウグスティヌスのラインが明確になる。

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両者に共通するのは、神なのか人間なのか、神秘なのか理性なのか、恩寵なのか自由意志なのか、という択一的な世界の描き方ではなく、両者のバランスやコミュニケーション、両立によって世界のありようが説明されている点なのではないか、と思う。

絶対的な神の存在が基盤のように前提化されてはいるのだが、それによって人間の存在がすべて神に溶け込んでしまうことはない。つまり、人間が無意味なもの、ちっぽけなものとしては描かれていない。トマスにおいては、神と人間とが交流可能である、というヴィジョンによってむしろ人間の存在感が強まっているように思う。この絶妙な神との距離感の描き出し方がすごく興味深かった。

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#nowreading 山本芳久 『トマス・アクィナス: 理性と神秘』新年早々勉強になりまくる本を読んでいる。同じ岩波から出ている『アウグスティヌス』の何倍も良い本。新書のレヴェルではないですね。トマスはショーン・コネリーみたいだな、と思う帯。