起床
7時過ぎ。朝食後、筋トレ。肩、上腕三頭筋、腹筋。
早くからHが公園に遊びにいったので音楽を聴きながら読書。
Asher Gamedze / Dialectic Soul
こないだの「世界の快適音楽セレクション」で流れていた南アフリカのジャズ・ミュージシャン、アッシャー・ガメゼの2020年作。この人はドラマーらしい。南アフリカといえば近年、高度に発展したスピリチュアル・ジャズの良作が発信されている場所であり(ゴンチチもラジオで触れていたが)イスラエルと並んで新しいジャズの最前線だけれども、このアルバムは新しいフリー・ジャズの名盤に数えられるだろう。大変に良い。ドルフィー的な知性を感じるし、大友良英の「ニュー・ジャズ」にも近いサウンド。感動してアナログを注文した。
読書をしながら、みんな物書堂の辞書アプリをありがたがっていたので、セールになっていた『大辞泉』を買っておく。Macだと右クリックから検索かけられるのが良い。
昼食後、かなりぐっすり昼寝。
ドライブへでかける。ひさしぶりに鶴川へ。おもちゃ屋が定休日でHが崩れ落ちていた。おやつを食べさせて、酒屋、レコ屋と巡って帰る。
帰宅して、買ってきたレコードを聴く。
講談社のKindle本50%還元セールがやっていたので欲しいものリストに入っていたものを一気に買う。
買い物を終えて白ワインを飲みはじめる。
夕食とともに泡盛。ストレッチしながらダラダラと泡盛を飲み続ける。
風呂。
寝かしつけ後、読書。食後にカフェインをとらなかったせいか、昼寝したのに眠すぎてツラくなる。無理せず早めに寝る。
『哲学の歴史』6巻のメモ
引き続き、ヴィーコ。彼はデカルト派のクリティカ(検分や分析)でなくトピカ(ヴィーコにあっては「何よりも視覚の知」(P. 79))に重きを置く。つまりは理性によってあれこれこねくり回されたものよりも、知覚された瞬間の、まだこねくり回される前の感覚を重要視する。観た瞬間に、わかる、その理解の基盤には人類の共通感覚があるはずで、それを真理の唯一の基準に据えようとした(P. 73)。その共通感覚を探るために古代人たちにアプローチする手法は、フランシス・ベーコンっぽい。
続いてはジョン・ロックに関する章。晩年のロックが元交際相手の家に寄宿し、その夫や子供たちと死ぬまで暮らしていたという伝記的記述に触れて「なかなかの面白体験だな……」と驚く。主著の『人間知性論』では観念の生得説を退けて、後天的に習得する経験論の立場をとっている、という。ロックが考える知性は観念を習得したり、認識や知覚をおこなう能力のみを神に授けられた白紙の状態で生まれる。神に授けられたがゆえに自力で知識や信念を獲得する努力が必要という立場をとる。知識や観念は、感覚から受け取られる単純観念を素材として複雑観念が内省のなかで作られることでできあがる。崇高な観念でさえ、単純観念によって構成されている。この発想は、ロバート・ボイルの原子論経由のものなのだろうか。