sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

この存在に支えられていると感じることと福島のこと

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2ヶ月以上、息子についてブログに書いていなかった。息子は7ヶ月を超えて、おすわりが上手になったし、飛行機にも乗った(家族3人で沖縄に行ってみたのである)、四つん這いになって後進しかできなかったのが、いまはずり這いでもハイハイでもない、類人猿的というか、ゴリラのナックルウォークを彷彿とさせる独特なスタイルで前進するようになった。もうすぐつかまり立ちをしそうだし、離乳食を食べるのも上手になった。保育園も決まった。

俺もまた転職してみたり(沖縄旅行は前職の有休消化期間中に遂行した)、車を買ったりしてみた。結婚、家、子供、車、と絵に描いたような消費的生活のスタンプカードにすべてハンコが押されたような気持ち。

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息子の写真はGoogle フォトを使って、俺、妻、俺の両親、妻の両親に共有されるようになっている。共有アルバムに写真が追加されるとスマホに通知が入る。息子の写真を見ると、疲れていても前向きな気持ちになるし、やる気が回復する。息子の存在に支えられている、と感じることが多々ある。もしその感覚がなくなってしまったら、心がもうダメになっている証だろうから、潔く仕事を休んだりしたい。

今日で、東北で大きな地震があってから7年経った。震災関連の報道を見ていると、福島のことについて息子にどういう風に教えたら良いんだろうか、と考える。事故が起きたときには、これっぽちもこの世に存在しなかった息子には、事故の責任はまったくない、と思うけれど、無関係なものとして考えてほしくはないな、とも思う。俺の「カントリー」が福島だから、というエゴの強さでもあるけれど。こういうときに、沖縄出身の人の話を聞いてみたくなる。沖縄に生まれて、そこで育ち、沖縄から離れて子供を育てている人が、基地の問題をどんな風に伝えているのか。