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文化的消費活動の日記

松本卓也 『症例でわかる精神病理学』

症例でわかる精神病理学

症例でわかる精神病理学

 

年末から年始にかけて大事に読んでいた。気鋭のラカン派精神医学者による「精神病理学」の教科書。基本的には医療やケアの現場に携わる人向けの本なのだと思うが、ラカンなどへの人文学的興味を持つ一般人が読んでも大丈夫な作り・非常に丁寧な作りになっている。京大で著者がおこなっている講義が元になっている本なのだが、京大の講義がたった2700円(税別)で読めるのだから、これはお買い得と言っていいだろう。非常に勉強になりました。

そもそも「精神病理学」とはなんぞや、ということであるが、メンタルの病を正しく診断し、治療方針を決定するための基礎的な理論・学問・方法だ、と理解した。著者はこの知識体系にある3つの大きな立場、記述精神病理学現象学精神病理学、力動精神医学(精神分析)が、どのように症例に立ち会うのかそれぞれ教授してくれる。ときに哲学やサブカルチャーの言葉を用いながらの説明は理解に役立つものだった(が、哲学の言葉の効果は、人によりけりであろう。哲学を知らない人にとっては、余計な記述なのかも)。

紹介されている症例がとにかく面白い。とくに統合失調症の妄想は、文学的とさえ感じられるものがあるし、クラウス・コンラートの引用には「これ、ピンチョンの『重力の虹』じゃないか!」と驚きもした。

そして、実に有用な本である。

素人がこういう本を読んで、わかった気になるのは危険を伴う恐れがあるが、本書を読むと、たとえば、美味しいおかきを作りながら街宣車を運転している会社の社長や、2時間ドラマによく出ている俳優と離婚した女優による、困惑を呼び起こすような発言・行動を、なんらかの病気・障害として受け止めることが可能となるだろう。さらには、医療従事者じゃなくとも患者と触れ合う可能性が高い認知症自閉症スペクトラムの患者の行動や言葉の意味を本書で読んでおくことは、患者とのコミュニケーションのあり方を変えるものだ。また、レトリックとしてメンタルの病名を使う際、表現の正確さを得ることもできそうだ。

個人的な関心でいえば、改めて「人間の意思とはなんなのか」という疑問に立ち返らされるようであった。一昨年のベストセラー『中動態の世界』を読んで「あ、わたしの哲学的関心の中心って「意思」にあるのかもしれない!」と気付かされたのであるけれど、たとえば、統合失調症の患者さんが抱えている「させられ体験」を読んでいると、意思ってなんなの、責任ってなんなの、と考えてしまう。本書にも歴史上初めて大量殺人犯が精神疾患により責任能力なしとして無罪になった事例がサラリと紹介されているのだが、普通、自明視されている意思や責任という概念って脆くないか? という疑念を呼び起こすような衝撃がある。

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