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文化的消費活動の日記

ニコラ・フルリー 『現実界に向かって: ジャック=アラン・ミレール入門』

ジャック=アラン・ミレール。ラカンの著作に触れようとする多くの人々がその名前を当たり前のように知っている(「セミネール」シリーズの編者であり、娘婿であり、ラカン自身によって「私を読むことのできる少なくとも一人の人物」と認められた精神分析家である)にも関わらず、その著作は一冊も翻訳がない(世界的にもスペイン語にしか翻訳されていないらしい)という状況ででた本邦初の「ミレール入門」。

コンパクトなヴォリュームで、ミレールの思想家/精神分析家としての歩みや、近年の薬物療法中心の精神医療との関わり、さらにラカンの「理論化」の様相を学べる良書だと思う。ラカン入門をある程度読んだ「ラカン入門の中級者」には、ミレールによる後期ラカンの解釈が驚くべきわかりやすさで提示されていることに感心するかもしれない……しかしながらその「わかりやすい後期ラカン」のエッセンスとして提示される分析の終わり、それが「症状への同一化」、つまりは自らの特異性を受け入れ、享楽せよ! という柔い自己啓発みたいにオチるのはどうしたものか……と思う。こんなに難しいこと書いてあって結論それ? みたいなところってある気がする。一方でこれを千葉雅也の『勉強の哲学』と接続するならば、症状への同一化を経た享楽とは「来たるべきバカ」ということなのかもしれない。

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