建築家の山本理顕の名前は、山下埠頭の再開発提案の関連で知った。
橫浜市は7月27日から8月7日まで、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)を紹介する企画展示を市役所ではじめた。我々の提案は全く無視されているので、その一部を是非見てください。音楽は川崎昭さん@akiramouseに新曲を作ってもらいました。 pic.twitter.com/IjRMdRYgQE
— 山本理顕 (@RikenYamamoto) 2021年7月28日
IRに拘泥する現在の横浜市の案とも、横浜港ハーバーリゾート協会(横浜港運協会)の案とも一線を画す「世界町家」というコンセプトは、日本共産党横浜市議団のYouTube番組でも熱く語られている。
本書からは、この建築家のポリシーが一貫して、人間らしく住むこと、というか豊かに住まうことにあることがわかるようだ。そしてそれは世界町家にも繋がっている。現代の住宅を検討する際に、住む人のライフスタイルにあわせて住宅があるのではなく、住宅がライフスタイル、そして家族の姿までを規定するのだ、という現実の構造物がある種の規範として働くという逆説的な指摘も面白い。
1988年に書かれた「破産都市」という文章、これを本書の白眉としてあげたい。住まう、定住するという保守性を経済原則によって支配された都市の開発は駆逐する、という指摘は今なお有効である。経済原則によって支配された都市のなかで生活は可能か。この問いに対して著者は「”共に”という視点を外したら、都市の中に住むのは実にたやすい」と答える。しかし、それは従来の住み方とはまったく違う住み方だ、と著者はいう。
たぶん”共に住む”住み方というのは、保守的で停滞的で、現在の都市の中にあってこれほど、都市性と呼ぶもの、つまり流動性、革新性からかけ離れたものはない、無論、経済原則に照らしたって可能性は全然ない。それでも必要なのだと思う。それも都市の真只中に。(P. 139)
この考え方にはかなりの共感を覚えるし、このコロナ禍においてはより先鋭的に映る。遠くよりも、近くで。流動しないこと、そこにとどまること。地元でいろいろ済ませることが推奨されようとする機運(しかし、地元でいろいろ済ませようにも、すでに地元の経済がこてんぱんに破壊されてしまっている地域も多いだろう。地元がある町はもはや幸せである)。共に住むやり方をわれわれはもう一度作っていく必要がある。