sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年5月16日、あるいはエアー

5時前に起きる。昨日のモヤついた気持ちのせいか夜中に起きてしまいなかなか再度眠れなかった。背中から首にかけて筋肉痛がある。デッドリフトの効果でハムストリングスも痛い。昨日はかなりキツい感じがしたが、ちゃんと身体も応えている。Hもすぐに起きてしまう。腕が痛むらしい。映画を見てもらっているあいだに英語ルーティンをやる。

仕事前にHの怪我に関する保険関係の問い合わせ。サッカークラブの時間帯での怪我とのことで幼稚園とサッカークラブの保険どちらも使えるようになっているらしい(そのあたりの書類を確認していたら幼稚園の保険に個人賠償責任補償特約がついていて、補償の重複が発生していることに気づいた)。基本的には通院完了後に一括して請求することになるらしいのだが、通院が長引いたことで請求書類の返送が遅れた場合、向こうから問い合わせがあるらしい。ちゃんとしている。自分が働きはじめた頃にちょうど各保険会社の支払い漏れが大きな問題になって各保険会社で大変なことになっていたのだが、それ以降支払いに関する事務はかなり顧客保護に向かっている。その結果、を体験できた感じ。

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さらにHのランドセルを注文。ちょうど誕生日ごろに届きそうである。

niwashigoto.hatenablog.com

先日観た「AIR/エア」について折に触れて考えている。この秀逸な映画評も何度も読み返している。考えていることは、以下のことだ……映画の最後でフィル・ナイト(NIKEのファウンダー)やジョーダンの母親が現在に至るまで慈善事業や寄付に莫大な金を注いできたことが明かされている。まるで良いことのように。しかしながら、そのチャリティの源泉となったお金はどのように生み出されているのか。映画のなか、1984年時点でNIKEのシューズは大部分が韓国や台湾で製造されていた。今日においてはベトナムインドネシア、インド、中国でおもに製造されている。貧しい国たち……とは今や言えない。しかし、そこで働く労働者たちはおそらくは貧しい。その貧しかろう労働者によって製造されたシューズで稼いだ利益でおこなう慈善事業、貧しい者から収奪した労働力によって生まれた富をまた貧しいものに再分配していく、という構造に一体どういった正義が成立するのか……。世界をより良くするための慈善事業、なのだとしたら、なにか大きな回り道をしているように思えてならない。

昼休みにジム、胸、腕。ついでにコーヒー豆を買う。

最近よく聴いているもの。ポール・モティアン、ビル・フリゼール、ジョー・ロヴァーノによるトリオ。ピアノレス、ベースレスという編成のせいか、アンビエントに近い印象のインタープレイが聴かれる。2004年のアルバムだが、近年のアメリカ西海岸から発せられるアンビエントに接近したジャズ(21世紀のウェスト・コースト・ジャズか!?)にも近い世界観。アナログで欲しいがでてないっぽい。ECMにおける晩年のポール・モティアンは今後掘っていく必要があるかも。

今日も一日中MTGばかり。最近、打ち合わせ中にしゃべりながら髪の毛をぐしゃぐしゃにするクセが強く出ている。

夕食後、薬局に買い物。包帯など買い足す。

鏡を見るとめちゃくちゃ吹き出物が出ている。増量しようとしているせいかいなのか。