sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2024年2月10日、あるいは「PERFECT DAYS」

4時に起きる。朝ジムへ。胸、腕。今日はずっと貸切状態だった。帰宅するとHがすでに起きている。朝マックの予定が楽しみすぎて早起きしたらしい。

予定通り朝マックへ。Hの友達もきてみんなで朝ごはん。自分は歯医者の予約があったのでひとりで早く帰る。

歯医者で冷たいものがめちゃくちゃ沁みる、と相談したら知覚過敏の薬を塗布してもらった。感動的な効果。沁みない!

歯医者後はそのまま、映画へ。はじまるまでスタバで読書。

 
 
 
 
 
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「PERFECT DAYS」、全然面白くなくてビックリした! 脚本が最悪なんだと思うが、役所広司演じる平山という男がちゃんと定まってる感じもなくて落ち着かなかった。調べたら、ヴェンダースと共同脚本を担当しているのは電通関係者で、ユニクロ関係者も製作に関わっているのだという(ユニクロとTheoryが衣装提供をしていたし、柳井正の親族の名前がスタッフロールにずらずらでてくる)。これを「代理店が悪い」と局所論的な原因論に還元していくことはいともたやすい。日本における資本とクリエイティヴィティの関係の悪さを構造論的に問うべきな気がする。FRと電通で東京都の協力を取り付けて、ヴェンダースを呼んで、この仕上がり。クール・ジャパンって本当に素晴らしいですね。

Xにも映画に対する不満をつらつらと書き連ねていたので、少しまとめておく。まず、平山という男の定まらなさに関連してだが、この一生懸命トイレを掃除する男、この職業についても映画の中でははっきりしないのだった。自宅の駐車場に停めた掃除道具を積んだ軽バン(ダイハツ。車両は古くなさそうだが、カセットデッキを積んだ謎の仕様)で現場に行き、毎日直行直帰をしているようなのだが、こいつはどういう雇用関係にあるのか。どうやら事務所らしいものがあり、終盤に(急に。それまで公衆電話を使うカットがありケータイ持ってなさそうなのに!)ガラケーでその事務所と連絡をとるシーンがあるのだが、業務委託なのか? 仕事(労働)は描かれているのだが、この職業が社会のうえにどのように関係しているのかが映画のなかでは全然見えてこない。カウリスマキの「枯れ葉」において会社と労働者の(嫌な)関係性がしっかり描かれているのとは対称的にも思える。

saebou.hatenablog.com

北村紗衣さんの感想には「日本のトイレがきれいなのはたぶん低賃金でもきちんとした仕事ぶりやサービスが当然とされる風潮に関連していて、私はそういう過剰サービスを要求するのは問題だと思っているのだが、この映画はそんなに高給はもらっていないと思われるのにものすごく責任感を持って仕事をしている平山を美化しているきらいがある気がする」とあるが、もはや、平山は労働者なのかどうかもわからない。ファンタジックすぎてトイレをキレイにしてくれる妖精のようだ。

また、「こんなふうに生きていけたなら」というコピーについても気味が悪い。これ(この生き方)に共感してしまうのは、箱庭的世界で閉じこもりたい、というか、社会性のなさを認めるようなものなのではないか。平山の父はその生き方をおそらくは否定し、それが軋轢を生んだことが暗示されている。いろんな生き方があっていい。ただ、俺自身としては完全に平山の父側の人間に立ってしまう。平山の生き様はいわば「半ひきこもり」的にも思えるのだが、遮断しているわけではない。それもまた中途半端でよくわからないのだった。仮に俺が平山的な生活を選ぶならば、あんなうるせえ店主(犬山犬子)がいる古本屋には絶対通わない。

平山の定まらさなについて最後にもう一度書いておく。基本的にこの平山は無口の設定なのだが、喋りはじめると急に役所広司が「役所広司」になってしまう。このアンバランスも問題に思われた。「役所広司」は「影踏みしましょうか」って急に言いそうだけど、平山は言わなそうだ。

寝かしつけで昔話。