sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年7月30日、あるいはキモたちはどう生きるか

映画の感想を書いてから寝る。7時近くになって起きた。寝不足気味。Hと朝食を食べたのち、些事をこなしていく。9時前で気温は30度超えている。車を拭くともうボディがアチアチ状態である。

君たちはどう生きるか」の余韻が残る。村上春樹の焼き直しは「もうお腹いっぱいです」って感じなのに、宮崎駿の焼き直しは傑作になってしまう。ここにはアニメーションが複数のクリエーターで制作するプロジェクトだから、ということがあるのだろう。本作の作画監督本田雄で、表現のアップデートにはこの人の力が大きいのだと思う。脚本に関しては、精神分析的な話であるのだけれど(主人公がエディプス・コンプレックスをどう乗り越えるのか、というか、父の名を受け入れる話としてまとめられよう)これまでの宮崎作品にない「大人のキモさ」がある。父親も「母親」もかなりキモい。だが、そこが良い。母親を失くした主人公。大きな喪失を抱えているのだが、新しい「母親」は母親と瓜二つ、というキモさを目の前にするのである。ここで主人公は再び母を奪われることになる。新たな母もまた父のものなのだ。主人公の「母親」の拒絶は、自分のものでないのであれば自分の母親ではないという否認を呼び込んでもいる。次のシーンでは、「母親」が父親の子を宿していることが告げられる。「ほら、ここ、動いたのわかる?」と言って触らせる「母親」のキモさ! すでに拒絶されているのに! 主人公にとっては自分が来た(わけではないのだが象徴的に)子宮にすでに別な存在が宿っていることが示されることで、再度これが母ではないことを理解してしまう。

HとAは幼稚園の同級生のお宅へ遊びに行っていた。ひとりで昼を適当に済ませて、1時間ほど気絶。ジムへ。胸、腕。めちゃくちゃ混んでいる。買い物をして帰宅。レコードでも買いに行こうか、と思うも我慢して本を読む。夕方、夕飯の買い出しをして、夕飯を準備。うなぎを食べた。

最近、ファラオ・サンダースをよく聴いている。フリーじゃない頃のやつ。普通にバラードを吹いてるのがめちゃくちゃに良い。ヴォーカル入りの曲には、Magmaと通ずるものがある。いずれもコルトレーンのフォロワー、ということ。