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文化的消費活動の日記

ロレンス・ダレル 『アレクサンドリア四重奏』

この夏の課題図書を読み終える。ダレルの長編小説。山形浩生の書評で知ってから随分長い年月を経て読み終えたが、想像していたのとまったく違う作品で驚く反面、いや、これは傑作……なんだろうか、とも思う。読み進めるごとに「え、こんな話だったの!?」と小説全体の印象が変容していく。

第1巻の「ジュスティーヌ」は、モダニズムの手法が色濃い感傷的な恋愛小説のようであり、続巻へのえらく謎めいた引きを作って終わる。ミステリー小説めいた陰謀の影は第1巻から見え隠れするのだが、話が進むごとにだんだんと物語を主役のようになってくる。第3巻の中盤ぐらいでは「すげえ遠くに来たな、これ!」と思うのだが、とはいえ、それが作品としてすごいのか……はよくわからない。ご都合主義的なまとめ方やエピソードも後半になればなるほど鼻につく。

そもそも主人公は基本なんにもしてないのだ。アレクサンドリアにやってきて、いろんな女と付き合い、周りが勝手に陰謀を企んだり、自殺したり、殺されたりする。いろんな思い出を作る。そしてアレクサンドリアを離れる。なんにもしてないのに成熟した感じになっている。最後の巻「クレア」を読みながら思い出したのは村上春樹の『ノルウェイの森』の印象で、ちょうどクレアがレイコさんみたいな位置づけである。主人公とクレアは同じ喪失の感覚を抱えた者同士として関係を作ることになる。

2007年の改訳版には最終巻に訳者の改訳にあたってのあとがきが記されている。邦訳の最初の版を担当したのが坂本一亀だったそうで、坂本龍一の影らしきものも登場する。訳者が相当ロレンス・ダレルにあてられちゃっているような書きぶりなのだが、ちょっと面白い。