sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年12月27日、あるいは「神の存在証明」

5時前に起きる。英語アプリをやっていたら、インド出張のシナリオがでてきて、インド英語の人がでてきた。

英語終わりで昨日届いていた「現代思想」に掲載されたアダム・タカハシさんの論考に眼を通す。『哲学者たちの天球』とは違った色気あるモードの文章で(いきなりアンディ・ウォーホールの話からはじまる)「神の存在証明」という知的伝統を紐解いている。「神の存在は証明できるのか?」というタイトルには取り組んでいないと思うのだが、神の存在証明的な行為が、享楽の対象として西洋の知的伝統のなかで形を変えながら反復されてきたことを整理している。手元にあった『構造と力』から話を借りてくれば、ここで言及される神の存在証明的な一連の議論は「象徴秩序の生成過程」のなかの「中心0」をいかに設定するのか、という話に他ならないだろう。中心0を求める背景と、その作用/効用の話。文中でもフロイトへの言及があるが「ぜんぶ、トーテムとタブーじゃん」という気もする。

 
 
 
 
 
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先日買い込んだレコードを聴きながら仕事。

昼にいつものコースを散歩。本屋で目に入った本を3冊買う。

お惣菜の店でカツカレーを買って帰る。しばらくこないあいだに代替わりしていた。

午後もレコードを聴きながら仕事。あれこれ買ったが今回の買い物だとシゲティモーツァルトが一番良かった。

夕方からデレク・ベイリーを繰り返し聴く。Hが帰ってきてまた3人でマリオ。壁ジャンプができなくてHが泣いていた。