sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2024年1月3日、あるいは万博に招かれるピアニスト

8時前まで寝る。朝食後にサッカーの練習へ。遊具で腹筋もやる。

Amazonの初売りセールで新しいコーヒーミルを買ってみる。

昼食後、Hとレコ屋の初売り。恒例のくじ引き(その場で買ったものが割引になる)で今年はやや不発だったが、Hは楽しそうだった。16本引いていた。

 
 
 
 
 
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帰宅してレコードを聴きながらおやつ。

 
 
 
 
 
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正月に聴く平均律、というのはなかなか趣があるものだ(今日は2巻のヘ短調の演奏が良い、と思った。その次の嬰ヘ長調も良い)。吉田秀和リヒテルについてなにを書いていたか確認してみたら、1970年の大阪万博に来日していたという話が書いてあった(この年に平均律の1巻は発売されている)。1970年、いまから50年以上のピアニストとは万博に招かれるような存在であったのだ。冷戦下の伝説のピアニストだから、ということもあったのかもしれないが。クラシック音楽を殊更「位が高いもの」と扱うわけではないのだが、そこには「文化」が感じられる。さて、これから行われる万博ではどうなんだろう。

リヒテルを聴きながら三浦哲哉の新刊に手を付け始める。土井善晴の『味つけはせんでええんです』と鋭く対立する本なんじゃないか。とくに味噌汁のところを読んでいると、土井先生のラディカルさが際立つ。土井善晴が料理という「行為」を掘り下げ、その原点、特別なものではない生活の一部としての営みへと立ち返っていくのに対して、三浦哲哉は料理の「おいしさ」の原点を「風味」へと還元していく、そうした対立がある。

土井先生に言わせれば、三浦が言うような「自炊者」の態度とは「おいしいに支配された人」に他ならない。

6連休の最後。6日間みっちりHと過ごして、Hが6日間のなかでまた大人になった気がする。