なんの因果で本書を手に取ったのかまったく思い出せないでいるのだが、丸谷才一が歌人としての後鳥羽院を語り尽くす、的な一冊。例によって歴史的かなづかい、かつ『日本文学史早わかり』のようにさまざまな文学史的知識を読者がもっていることを前提にした書きぶり、かつ、漢文で書かれた日記について現代語訳がついてない(この部分、雰囲気でしか読めない!)という現代人にはややリーダビリティが厳しめな本ではあり、読んでてめちゃくちゃ眠くなるのだが(毎晩Kindleで寝しなに読んでいたのだがページを1めくりもできずに入眠してしまうことも珍しくなかった)内容はとても面白く、和歌という日本古来の文学形式に対しての興味を掻き立てられる。言葉の音の類似、それから本歌取という引用によって31音というフォーマットのなかで重層的な意味を構築するというその手法は、後鳥羽上皇の命で編まれた『新古今和歌集』の時代に完成された、という著者の見立て、その読み解きぶりの見事さに慄く。その重層性を完璧に翻訳することは不可能だ、としつつ現代語に置き換えた例が一例ある。「あはれなり世をうみ渡る浦人のほのかにともすおきのかがり火」。これが「哀れなイメージだ、まるで阿波の国のやうに人の世に倦み果てながら夜の海を渡るうらさびしい漁師が占ひの者さながらに仄かな焰を、帆と同じみづからの伴侶として船尾に灯すとき、よもすがら起きつづけ生きつづけ浮きつづけ燠火のやうに息しつづけながら、遥かに壱岐を望む隠岐の国の沖の秋の海にもの憂く燃える篝火は」へと引き伸ばされる驚き。この驚きは和歌の門へと誘うには充分な大きさだ。「王朝和歌とモダニズム」という講演をもとにした文章、ここから読むと和歌の古来からの伝統についての案内がなされているので多少読みやすかろう。