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文化的消費活動の日記

若松英輔 山本芳久 『キリスト教講義』

 

キリスト教講義

キリスト教講義

 

批評家・随筆家の若松英輔と、トマス・アクィナスの研究者である山本芳久による対談本。若松の名前は井筒俊彦に関する仕事で知っていたが、著作に触れるのはこれが初めて。ふたりがカトリックの信仰を持ち、同じ司祭のもとで学んだところから本書が生まれ、こうした素晴らしい本として世に出した編集者がすごすぎる。この編集者、千葉雅也の『勉強の哲学』も手がけている。ホームラン連発か。

本書は基本的に若松が問いを投げかけ、山本が専門であるトマスを中心とした神学的な知見から回答がある。そこから話が広がっていく、という形を取る。若松の役割は、山本からの回答を文学的に、そしてより一般に広く浸透するようになるための媒介として立つ。キリスト教に対する偏見や思い込みがほぐれるようだ。その単なる無理解だけではなく、日本のキリスト教内部の問題、とくにルター派の強い影響によって生じる誤解も含まれている。まさに目から鱗(この言葉も『新約聖書』に由来する)。

タイトルに「講義」とあるが、単なるお勉強の本ではなく、アクチュアリティをもった思想書だ。

私たち現代人は、トマスの文字を読めるけれど、トマスが語ることで生まれたその「沈黙」を読み取れなくなっている 

という若松の言葉に象徴されるような沈黙、あるいは神秘をめぐる態度は、千葉雅也の本ともつながって読めるような気がした(これは最近わたしが「動きすぎてしまっている」せいで、なんでもそれにつながっちゃっているからかもしれないけれど……)。奇跡の、沈黙のまわりで行為すること。キリスト教を知的に理解することと、信仰することの違いは最後の章でも再び語られる。

また「言葉」をめぐる第3章は、日本にキリスト教を伝えたイエズス会アリストテレス主義的な自然哲学を信仰の媒介にした「必然性」を腹落ちさせるよう。現代のキリスト教はどのようにあるべきかも問われているが、この問題は、キリスト教のみならず、これからの宗教のあり方のひとつの形を提示している。

この本をきっかけにまた聖書を読み直してみようかな、とも思った。昨年末に新しい訳もでたし。

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終わりのないレベル上げ

https://www.instagram.com/p/BtZwfSYjtpT/

生後1歳6ヶ月を経過していた。前回の育児日記に「生後11ヶ月経過」とあるので、半年以上書いていなかった(その間、Instagramは頻繁に更新していたが)。11ヶ月経過で歩きはじめて、今では自由に走り回るようになった息子。いくつかの単語を口にすることができるようになった。好き嫌いを多少意思表示できるようになった。バスと電車が大好きで、ザ・男の子という育ち方をしている。それに便乗して自分も物欲を満たしていたりする。

https://www.instagram.com/p/BtXfbd0jFyx/

わたしもこの半年のあいだに地獄の大炎上プロジェクトを経験したり(7月〜11月)、転職して有給消化をしたり(12月)していた。12月はほぼ毎日車で保育園の送迎をして、ほぼ毎日一緒にお風呂に入り、気まぐれに息子のご飯を作ったり、それからたまに保育園の準備もして「これで一通りの育児はできるようになったのかな〜」という気がしている。

あくまで気がするだけ。予防接種がどうとか定期検診がどうとか、自分が目に入っていない育児があるから驕ることはできない。ここまでやっているからもう大丈夫、という安全ラインみたいなのはなく、終わりのないレベル上げのよう。けど、縁起でもない話だが、妻がバッタリ倒れてしまうことがあっても「なにをしていいのか全然わからない」ということにはならないだろう、とは思う。

1月から新しい職場。12月のようには息子と接することができないので、朝ごはんの準備をするようにした。これも、「すでに妻が準備してくれたものを切ったり並べたりするだけのレベル」から、「ちゃんと幼児食というものを作れるレベル」、「一回の食事になにをどのぐらいあげるのか理解しているレベル」へと徐々にレベルをあげていきたい。

 

『ルネサンス・バロックのブックガイド』が発売されます

 

昨年出版予定についてお知らせしていた『ルネサンスバロックのブックガイド』がいよいよ2月27日に発売予定。本書に原稿を2本寄稿しています。すでにAmazonで予約ができますので、どうぞよろしくお願いいたします。

https://www.instagram.com/p/Bt-CiO2D3yt/

玄関で靴を磨いてたら『ルネサンス・バロックのブックガイド』が届いた。本書に原稿を2本寄稿しました。2月27日には書店に並びはじめるとのこと。大きな本屋さんに行ったらたぶんあるんじゃないでしょうか、見かけたら手にとって見てみてください。気に入ったらレジへ……。

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山田剛史 杉澤武俊 村井潤一郎 『Rによるやさしい統計学』

 

Rによるやさしい統計学

Rによるやさしい統計学

 

仕事でまとまった空き時間が発生している隙に、中途半端になっていた『Rによるやさしい統計学』を開く。付箋代わりに挟んであるチケットの半券が2012年のものだったので、もう6年ぐらい放置していたようだ。統計解析用のプログラム言語、Rで手を動かしながら統計の基本を学ぶテキスト。登場する数学記号が一切理解できなくても、コマンドを入力すれば、なんとなく統計的な「手続き」をなぞっていくことができる。

手を動かすところは最初面白いのだが、半分ぐらい来たところダルくなってきて「これからの俺の人生でRを使うことはあるだろうか……」、「統計を理解しておく必要があるんだろうか……」という気持ちが去来して今回も挫折した。統計学は大学の必修科目でも勉強したのだが一切覚えていないし、社会人になってからも統計の本を読んだような気がする。「俺は生涯で何度、標準偏差についての説明書きを読むのだろうか」と思うと呆れてしまうし、絶望に近い気持ちになる。

自己分析するに、技術者になりきれず、今の身分に落ち着いている中途半端さからこういう本へのチャレンジが湧いているのだと思うのだが、そういうのはこれでもう最後にしようかな……とも思う今日このごろ。これと同様に経済学も諦めたい(ああ……でも積読本のなかには、経済学の分厚い教科書が眠っているっけ……)。

本書はマトモで堅実な本だと思うけれども、かつて「統計学が最強の学問」とかうそぶく本が流行ったけど、善良なサラリーマンのコンプレックスを煽って商売にするのは止めていただきたい。

www.cc.aoyama.ac.jp

本書がダルいのは使うデータをイチイチ手入力させる案内になっていること。こちらでテキストで使うデータのCSVを落とせる(が、わたしの環境だと文字コード変換をかけてやらなきゃ読み込みができなかった)ので、これを使って、CSVの列名を抽出するコマンドを覚えると進みが良くなると思う。

sites.google.com

アン・ブレア 『情報爆発: 初期近代ヨーロッパの情報管理術』

 

情報爆発-初期近代ヨーロッパの情報管理術 (単行本)

情報爆発-初期近代ヨーロッパの情報管理術 (単行本)

 

ハーヴァード大学の歴史家、アン・ブレアの名著。こちらは原著で読んでいた。2013年。詳しい紹介は過去にもブログで書いているので繰り返さない。

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当時読んだときは気づかなかったが、ブレアってアンソニー・グラフトンの弟子だったんだな、と。グラフトンの『テクストの擁護者たち』の翻訳もすでに世に出ている現在に本書を読むと、グラフトンからのブレアという流れがとてもスムーズに理解できる。ブレアの『自然の劇場』も続いて邦訳されると良いなあ(こちらは未読。原著も高くて手を出せていないので)。

原書はもっと読みやすい英文で書かれていた印象をもっていたので、ガチガチの日本語訳で出てきちゃったのはちょっと残念。

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ブライアン・W・カーニハン 『ディジタル作法: カーニハン先生の「情報」教室』

ディジタル作法 −カーニハン先生の「情報」教室−

ディジタル作法 −カーニハン先生の「情報」教室−

 

こちらの流れで読む。本書については、技術系出版社に勤務する友達に「情報系の学校ではどういう教材で勉強させてんだろね」と相談していて教えてもらった。京都大学工学部の授業でもテキストに指定されていて、「これは良い本」と友人談。たしかに良書。語り口がクドクドしてるので、そもそも本を読み慣れていない人にはどうかな、と心配になるが、カバーしている領域も「そうそう、こういうことを知っておいたほうが良いと思うんだよ!」とツボをついてくるし、内容もまだそんなに古くなっていない(というか、ほとんど気になるところがなかった)。記述の濃淡も適切だ。いまのところ、IT業界に入った新人が身につけておくべき知識の総論的な入門書としては本書がベストチョイスになりそう。

今後の学習カリキュラムとしては、この本で基本的なストーリーを共有してもらって、あとはITパスポートをとってもらったり、基本情報処理技術者をとってもらったり、という流れかなぁ……。現時点ではエンジニアではないながらも、丸12年ぐらいITに関わり続けているので、自分が仕事をはじめる前にどういう状態だったのかがハッキリ思い出せなくなっている、そのため、今、「新人向けの本」を選定するそのセンスが適切なものなのかどうか、甚だ怪しい……。

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『伊丹十三選集 第1巻: 日本人よ!』

 

日本人よ! (伊丹十三選集 第一巻)

日本人よ! (伊丹十三選集 第一巻)

 

伊丹十三の「新刊」である『ぼくの伯父さん』が出たのが1997年。これは死後20周年だったが、昨年末には岩波から選集の企画がはじまっている。ファンとしては買わずにはいられない、ということで内容も特別チェックせずに第1巻を買い求めた。伊丹が古代の日本に取材したドキュメンタリー番組「伊丹十三の古代への旅」(1977)の内容を書き起こしたものが文章としては初出。それ以外は、すでに読んでいたことは買ってから気がついた。現在は入手がやや難しい奇書(としか言いようがない)『フランス料理を私と』に収録された文章が読めることに価値がある……かな?

「日本人よ!」というタイトルの本は、伊丹のビブリオグラフィーには存在しないし、伊丹十三が日本人に関心があった、とか、日本人論を持っていたか、というイメージは、本書を読むまで持たなかった。わたしのイメージは、どちらかといえばその逆で、外国に強い関心を持ち続け、外国にある「ホンモノ」をどうにか日本に輸入しようとした人、というものであった。日本は素晴らしい、と礼賛する文章をわたしは伊丹十三のエッセイで読んだ記憶がない。褒めるのはかつての伝統であり、文化。「ニセモノ」、あるいは「日本人の感性に対する苛立ち」は本書に収録されている文章でも確認することができる。第1巻は、日本人の起源と天皇という存在への関心、そして日本人へのいらだちを軸にコンパイルされたものに思えた。

『メンズプレシャス』で特集された伊丹十三のファッションの変遷は、徹底した脱日本人志向に気づかせる(晩年には中国服に傾倒し、日本から西洋へ、という方向性でなく、独自の進化を遂げた)。しかし、残された写真などを見ると、そのライフスタイルは、徹底して日本人だった、というまったく逆の印象を抱くこともできる。プロ並みのフランス料理を作る一方で、火鉢を愛用していたり、はっきり言ってめちゃくちゃであるのだが、それが破綻でなく、調和してみえたところに伊丹十三の天才があったのではないか、と。そして、その姿は本書で伊丹が苛立つ日本人の姿とも重なっても見える。

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