丸谷才一の『後鳥羽院』から興味をもって『新古今和歌集』を読んでみる。古文に関しては過去に小西甚一の参考書を読み流しただけで、ほとんど馴染みがないのだが(受験勉強でもかなり苦手だった)、ずっと昔に読んだ『万葉集』よりかは時代が新しいこともあって、普通に読めるものも多い。岩波文庫版では訳文もつかず、漢字も旧漢字でかなり読みにくいのだが、気になるものがあればネットで調べればよろしかろう。いくつかこれは素晴らしいな、と思えた歌があったので、以下、日記やXにメモっていたものをまとめておく。
霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る
まずは、藤原定家。この飛んで帰っていく雁の翼に春雨が降っている、というヴィジョン! おそらくそんなものは現実には見えもしないであろうに定家のキャメラはしっかりとその姿を捉えている。定家については『後鳥羽院』でも大きくフィーチャーされていたこともあり注目して読んだが、あきらかに他の歌人とは異なるセンスを感じるものが選ばれているように思う。
かへり来ぬむかしを今とおもひ寝の夢の枕に匂ふたちばな
式子内親王。愛子内親王の卒論テーマでもあった歌人であるが『新古今和歌集』に収録されている女流歌人では、藤原俊成女と並び印象的な歌が多かった。この歌では視覚的な夢のなかに橘のにおいが差し込まれるのが良い。
とふ人もあらし吹きそふ秋は来て木の葉に埋む宿の道しば
藤原俊成女では、これが実に『新古今』様式というのか。掛詞を使いまくりながら、秋の寂しげなイメージを喚起させて素晴らしい。現代語訳するならば「飽き(秋)てしまったのだろう、尋ねる人もいない(あらし)憂鬱な(埋む)宿の道には、秋の嵐の風で吹かれた木の葉で埋もれてしまっている」ぐらいだろうか。木の葉(このは)の音は、「来ぬ」にもつながる。
( 早くよりわらは友だちに侍りける人の年ごろ経て行きあひたるがほのかにて七月十日ごろ月にきほひて帰り侍りければ)
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな
大河ドラマ「光る君へ」のつながりでは紫式部のこの歌がドラマのイメージと強く結びついている。
うたたねは荻吹く風に驚けどながき夢路ぞ覚むる時なき
これは歌だけでなく崇徳院が保元の乱ののちに流された讃岐で詠んだというコンテクストとあわせたとき、凄まじさに慄く。小さな風ぐらいで目覚めてしまううたたねと、おそらくは自らの生涯を映したであろう「ながき夢路」の対比!
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