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文化的消費活動の日記

戸田和幸 『解説者の流儀』

 

解説者の流儀

解説者の流儀

 

元日本代表で現在はサッカー解説者・指導者として活躍する戸田和幸の著作。自身のサッカー解説者としてのポリシー、現役時代の振り返り、世界のサッカーの潮流や日本のサッカー、あるいは日本のスポーツ・メディアについて語る。時期的には2018年のワールドカップ直前、ハリル解任直後までがフォローされている。サッカーにおける戦術の重要性(プレイする側、そして観戦する側にもその理解が必要とされる)、そもそも現代サッカーはどういったものなのか、という話をしつこいほど説いており、わたしのような「代表戦しか見ない」レベルの関心の人にはただただ勉強になるばかり。

告白すれば、わたしはほんのちょっと前まで「なぜサッカー・ファンは監督でもないのに戦術について語るのか(その熱量が怖いし、不自然)」と思っていた。たかがスポーツでしょ、もっと自然に観戦を楽しめないのか、と。

しかし、ちょうど前回のワールドカップをテレビ観戦するうちに、ようやくシステムや戦術について知らなければ、サッカーは全然面白くない、というか、そうした監督目線、批評家目線になるためのリテラシーを身につけることがサッカー観戦をより愉しくさせる、という気付きが生まれ、それは先日のアジアカップの代表戦を見るうちに確信に変わった。本書もまたその確信を後押しするもの。そして「サッカー観戦がしたい!」という気持ちにさせられる(たぶん、時間がなくて相変わらず代表戦しか見ないだろうけれど……)。

ところで、著者の解説者への転身とその後の「株」の上がり方については、予想していなかった人も多いと思う。戸田、といえば2002年日韓ワールドカップにおけるスキャンダラスの赤髪モヒカンヘアーであり、品性に欠ける、といったバッシングがまず思い出される。

蓮實重彦『スポーツ批評宣言』でも、この件への言及があったな、と思って確認してみたら、やはり批判的な言及(日韓ワールドカップで「髪型」といえば、優勝国ブラジルのロナウドベッカムヘア、など他にも話題がある)。当時の日本代表の「知性」といえば、中田英寿に象徴されていて、蓮實重彦もそういう取り上げ方をしている。つまり、みんな本書の著者について「知性」を感じ取ってないのだ。

その戸田が今、こうしたインテリジェンスを発揮するとは……という端的な驚き(「知性の象徴」だった選手が現時点で隠者のようにしか見えないことが、その驚きを対比的に大きくさせている)、そして、それを身につけるために著者がおこなっている努力(まさに「解説者の流儀」)への驚愕が本書の読みどころのひとつでもある。