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文化的消費活動の日記

W. G. ゼーバルト 『土星の環: イギリス行脚』

土星の環:イギリス行脚[新装版]

土星の環:イギリス行脚[新装版]

 

 永らく海外文学ブログなどで紹介されるのを見るにつけ、面白そうだな、でも、ややこしそうだな、と敬遠していたゼーバルトの『土星の環』を読み終える。ゼーバルト名前がなんともややこしいものを書きそうな雰囲気があるではないですか、ただ、読んでみたら「おお、これはたしかにややこしいが、このややこしさは好きなやつだな」と思って、なんだ、なんでわたしの友達は「たぶん、ゼーバルト好きですよ」って奨めてくれなかったのか、とも思ったし、もっと早く読めばよかった、と悔やみもする。

著者のキャラクターが投影されているであろうこの物語の語り手が、ある日、イギリス(のイースト・アングリアのサフォーク州。イングランド東部の田舎っぽいとこらしい)を徒歩で旅行してみようと思いたち、あちこちを巡る……一種の旅行文学ともいえるのだが、ややこしいのは物語めいた出来事が起こるわけではなく、小説ともエッセイとも判別つかぬ文体によって、あちこちで語り手が歴史や文学の記録や記録を掘り起こしていく、それをひたすら読者は読まされる、そのうちに一体、俺はなにを読まされているんだ、という気持ちになる、そういう一冊である。

無名の、実在するのかどうかも定かではない人々が現れ、語り手に記憶や記録が掘り起こすきっかけを与えるその一連の流れも面白く、マイケル・パーキンソン、ジャニーン・ロザリンド・デイキンズ、マイケル・ハムバーガー、スタンリレー・ケリー……etc……などという名前の登場に、だから、こいつら一体だれなんだよ、と笑ってしまう。

解説で柴田元幸ヴァルター・ベンヤミンの名に触れているが、たしかにベンヤミンの文章を想起させられる内容だ。さながら語り手はサフォーク州をめぐる旅路をパサージュに見立て、フラヌール(遊歩者)として歩き回る。パサージュに立ち並ぶ店舗のショーウィンドウからさまざまなイメージがかきたてられるように、なにかを思い出していく。読者はそのイメージに迷い込むような体験を持つだろう。