sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2022年9月17日、あるいは気の乱れ

4時半ごろ起きる。少しぼーっとしてから筋トレ、上腕二頭筋、肩。バーを使わず普通にプッシュアップしてみたらだいぶ軽く感じる。その後、英語の勉強。ひさびさにDuolingoを30分以上やる。

朝から気分が晴れず、ツラい。

最近はじまった坂口恭平さんの日記を朝食後に流し読む(分量が毎回多すぎてしっかりと読めない)。いのっちの電話をやめて、家族との時間を、というモードなのだという。この急激なモード変化には共感を覚える。開くモードと閉じるモードが自分にはある。今は閉じるモードなのだろう、そこをいくつか無理やり「開こう」という外からの流れがあり、それになんとなく乗ってしまった、そしてそれが上手く行っていないことで〈気〉(とでも名付けよう)が乱れている、のかもしれない。

「ウィークエンドサンシャイン」。HはオープニングのOsibisaの曲が好きで、それを聴きながら踊っていた。その自由な動きを見ていたら少し気分が晴れた。

今日はプールに行く、と言っていたのが、また直前でキャンセル。

ブラームスピアノ協奏曲第2番をまた聴く。逆説的ではあるが古楽器オーケストラであるがゆえにわかるブラームスの豊かさがあるようだ。渋さ、枯れた、秋のブラームスではなく、ロマンティックなブラームス。それは古楽器オーケストラによるベートーヴェンとの対比において際立つ。

ポゴレリチショパンのアルバムが出ていたことに気づいた。冒頭のノクターンからやはり驚くべき遅さであるのだが、美しく整えられたタッチのおかげで澄んで聴こえる。これが「病的」と聞こえるとしたら、聴き手が病んでいる、ということだろう。ピアノ・ソナタ第3番の冒頭の和音からはロシア・ピアニズムを強く感じる。

昼頃からまた調子が悪くなってくる。昼食を食べたあとは寝室にこもっていた。

sekibang.hatenadiary.com

読了。

夕方には細々とした仕事をするぐらいまで回復。しかし、また雲行きが悪くなってくる。どんどん身を軽やかにする必要を感じて、デバイスの集中モードをオンにして通知が全然来ないようにしてみたり、Twitterの通知を全部切ってみたりした。