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文化的消費活動の日記

リチャード・ブローティガン 『アメリカの鱒釣り』

いろいろと雑多に本を読んでいると本のほうが自分を選んでくれてない、って感じの不幸な出会いも経験する。ブローティガンの作品は自分にとってその一例で、10年以上前に何冊か読んで「俺向きじゃないなぁ」と思った。本もだれかにあげてしまったのだと思う。過去の自分のブログを確認してみたら驚くべきことに『アメリカの鱒釣り』、『芝生の復讐』、『西瓜糖の日々』……と3冊も読んでいた。記憶はゼロだ。

最近台湾だったか中国だったかの日本文学研究者が、村上春樹の作品における藤本和子の翻訳の影響が……云々みたいな記事を目にして、またブローティガンに興味を持った。それで「今読んだら違うかも」と思いつつ『アメリカの鱒釣り』を再度購入してみたのだった。結果、やっぱり感性って簡単に変わんなくて、そんな面白く読めずにいたのだけれども、10年前よりもずっと〈読め〉はしているように思った。

消えゆく者、地面に這いつくばるようにして生活している者、負けちゃっている者、そういう者共が独特なユーモアで描き出されている、ように読めたし、この感じは(アルコール中毒者という主題で)ルシア・ベルリンにもつながっている、ようにも読める。