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文化的消費活動の日記

世阿弥 『風姿花伝・花鏡』

15世紀前半に成立した世阿弥による能に関する書物。本書には、父の観阿弥に教えられたことをまとめたもの(『風姿花伝』)、能の制作についてのHow To(『能作書』)、世阿弥が中年から老年に渡って考え詰めてきたことをまとめたもの(『花鏡』)を収録している。編訳者は小西甚一。現代語訳 → 原文の順に並んでおり、原文自体もギリギリ古文の知識無しで雰囲気で読める感じもあって読みやすい。

調べたところによれば『風姿花伝』をビジネスに活かす、みたいな本もあるらしく、なんでも自己啓発に応用できるな! と感心してしまうのだが、『風姿花伝』でも『花鏡』でも「初心忘るべからず」(この出典が『花鏡』だったことに今回始めて知った)と書いてあるし、能以外の分野にも活用できる知が書いてある。肝になっているのは書名にもある「花」についてであり、これは美学的な読み方、というよりも、価値に関する理論としても読むことができよう。

ここでいう花、とは「あの人の芸には花がある」というときの「花」であり、価値がある、良い感じですよね、見どころがありますよね、ということだ。その花とは一体なんなのか、突き詰めるとそれは「面白いこと」そして「めずらしいこと」に行き着く、と世阿弥は書き記している。優美であること、これもまた花に近いのだが、優美でない花もある。たとえば、優美な芸で知られる人が時折、鬼の役を実に荒々しく見事にやる、ここで生まれる「お、あの人が鬼をやるんですか、珍しいねえ」という感想こそが花なのだ、と。

逆に普段から鬼の役ばっかりやって、それしか芸がない人、というのはいかにその鬼が上手くても花とは言えないのだ、と世阿弥は説く。そして、観客を飽きさせずにいつも新鮮な感想を抱かせること、それこそが花を持つ秘訣なのだ。だから、飽きさせないようにいろんな演目がやれるようになってなくちゃいけないし、ずっと勉強は続けなさいよ、花を咲かすための種は忘れちゃダメですよ……。

みたいなことって「まぁ、そうだよね」って思うことなのだが、まさにその「そうだよね」ってことが有名な「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」につながってくるのだった。大事なことって知られちゃうと大事じゃなくなっちゃう、だから隠しとけ! これまた情報の非対称性を活かしたテクニックだ。

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