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Nouvelle茶人、あるいは勉強家によるブログ

村上春樹を英語で読み直す 『国境の南、太陽の西(South of the Border, West of the Sun)』

村上春樹を英語で読み直したのはこれで5作品目。日本語で初めて読んだのが20歳(ひょっとしたらまだ10代だった可能性もある)ぐらいだと思うので、これまで読み直したなかでも一番記憶が薄く、長いこと「読んだ事実はあるようだが、内容がまったく思い出せない村上春樹作品」として気にかかっていたので今回の読み直しで胸のつかえが下りるような気にもなった。

団塊の世代である主人公が自分ではなんもしていないのに青山にジャズ・クラブを2店舗経営する成功者になっていく様は、村上春樹作品のなかでも屈指の「主人公のなにもしなさ」であって、かなりうんざりするのだが中盤、主人公のファム・ファタル的な存在である島本さんとの再会を果たしてからは、なかなか読み応えがある……というか、いまの自分にとってちょうどこの本が読みどきであることに気付いた。ちょうど主人公が自分と同い年ぐらいであり、もちろん自分は主人公のような成功を手にしているわけではないが「ああ、わかりますね」みたいなところがいくつもある。わたしが得た経験や見聞からわかるようになったことがあった。

笑ってしまったのが、島本さんが主人公の前から再び消えてしまったあとのシーンだ。

When I ran out of things to do, I'd go shopping. Once, on a whim, I bought six shirts. I bought toys and dolls for my daughters, accessories for Yukiko. I stopped by the BMW showroom a couple of times to check out the M5; I didn't really plan to buy one, but I let the salesman give me his pitch. (やることがなくなると、僕はデパートに行って買い物をした。シャツを一度に六着も買ったこともあった。娘たちのために玩具や人形を買い、有紀子のためにアクセサリーを買った。BMWのショウルームに何度も行ってM5を眺めまわし、買うつもりもないのにセールスマンにあれこれと説明を聞いたりした。)

さらに主人公はスイミングに加えて、ジムで体を鍛えはじめる。なんという《中年の危機》だろう! と感嘆しながら、リアリティも感じる。

こんなエピソードも思い出すのだ……かつての同僚(わたしよりもやや年上で、妻子あり)があるとき会社の若い女の子に入れあげていることがあった(自分はその女の子から相談を受ける立場だった)。詳細は伏すがそのアプローチがまぁまぁ気持ち悪く、結果として年上の同僚はセクハラ兼パワハラで処分されることになり、女の子のほうも会社を辞めてしまった。それからしばらくしてその年上のの同僚と出会うと、かなりのダイエットに成功していて雰囲気が変わっていたのだった。

中年の失恋、失意、失望。それがダイエットとかボディメイクや散財に向かわせるリアリティ。その愚かしさ。村上春樹の作品のなかで、こんなにカッコ良くない、落ち着かない中年的な振る舞いが描かれているのは本作以外に思い浮かばない。本作の大きな主題ではないと思うのだが、大きな読みどころのひとつだろう。

物語の構造も凝っている*1。とくに島本さんと主人公があれこれあったあと、主人公が義父と鰻を食べながら「女遊びのルール」について説教されるというシーンがある。ここでの義父の話は、その前後の主人公のふるまいに不気味な神託のように被せられている。義父は真実をなにも知らずに、ただ単に世間話をしている……にも関わらず、主人公の行動を言い当て、そして予言めいたものを与える。主人公はそれを思い返すことはないが、読者にだけその予言が残される。「あまりいい女と関わると、もとに戻れなくなってしまう」、「何があっても午前二時までには家に帰れ」。なんだっけ、チェーホフの「舞台に鉄砲がでてきたら、その引き金は絶対引かれなきゃいけない」みたいなやつ。提示された義父からの教えは、まさに破られるために登場しているかのようだ。

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*1:骨格部分は、実にシンプルな精神分析的な説話だ。島本さんというファム・ファタルと離れてしまった主人公はずっとなにか欠落を得たまま生きている。島本さんがここでは対象aになっている。あれこれあって主人公は対象aに到達したかのように思えるのだが、すぐにそれは失敗してしまい、もう二度と手に入らないことに気付き、欲望を満たすには対象aへの到達と同時に死を選択しなければいけなかったことを理解する。その失意から立ち直っていく様子は、分析の終結のプロセスとよく似ている