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文化的消費活動の日記

村上春樹を英語で読み直す 『風の歌を聴け(Hear the Wind Sing)』

Hear the Wind Sing

Hear the Wind Sing

Amazon

英語版と原本(自分がもっているのは講談社文庫版)の違いについて書いておく。英語版には冒頭に The Birth of My Kitchen-Table Fiction という作者による序文のようなものが附されている。内容は村上春樹ファンならおなじみの神宮球場で野球を見てるときに小説を書くことを思いついた、みたいな話で、日本語でほとんど同じ内容の文章を読んだ記憶があるなぁ、と思って調べたら『職業としての小説家』の「小説家になった頃」をベースしたものだった(英語版はところどころ省略がある)。また、原本にある「ハートフィールド、再び……(あとがきにかえて)」は英語版にはない。この「再び……」がどういう位置づけの文章だったのか、本当に「あとがき」として書き加えられたものなのか(つまりは作品外のテクストなのか)よくわかっていないのだが、英語版でオミットされているということは、テクスト外だった、ってことなんだろうか。この『風の歌を聴け』と次作の『1973年のピンボール』については作家が習作みたいに扱っていて、それゆえ翻訳も長いこと許可されなかった、と記憶している。

短い本なのでサクサク読めるかと思ったのだが、ストーリーらしいストーリーはとくになく、もったいぶった言葉であれこれを腐してるだけの部分が多いせいか、つっかえるようなところが多かった。「翻訳調の文体」については、作者自身が「小説家になった頃」でも言及している。この作品の一部を作者ははじめに英文で書き、そして日本語に「移植」するようにして書いていった。そうした作品をさらに英語で読む、逆輸入車をさらに輸入する、みたいな(この表現が適切かはぜんぜんわからないが)そういう倒錯的な面白さがあるかもしれない。

世界はどんな風に読んでいるのか。本書には『1973年のピンボール』と2in1になったヴァージョンもあり、Amazonのレヴューはこちらのほうが豊富にある。おおむね好意的な評価が寄せられているのだが(なかには「村上作品をコンプリートしたい人にはおすすめするけど、大した話じゃないのでそうじゃなかったら別に読まなくていい」みたいな評価もある。この意見もわからなくもない)、日本の小説として読むのではなく「村上ワールド」的なものを見出しているレヴューが多いように思う。たとえばあるレヴュアーは、井戸、猫、食べ物やビールなど「村上春樹的なモティーフ」が初期作品にすでに刻まれていることに驚いている。

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