sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

ウィリアム・フォークナー 『響きと怒り』

学生時代に読もうとして挫折したまま15年以上経っていたフォークナーの小説に再チャレンジ。今度は無事最後まで読み通した。

学生時代にはじめて読もうとしたフォークナーがこの作品だったことは不幸な出会いとしか言いようがない。全4章にわけられた本作の難所は、コンプソン家の三男坊、白痴のベンジャミンの視点から語られる第1章にやってくる。

1928年4月7日に語られるこの白痴(この言葉、今日PC的に大丈夫なのか!?)の物語は、白痴であるがゆえに、事前予告や説明なく複数の時系列をいったりきたりし(1928年4月7日現在に発生した刺激が過去の出来事をフラッシュバックさせる)淀みまくった川の流れのように紡がれていく。このフラッシュバックがその後の物語の背景を断片的に伝えていく仕掛けになっているのだが、それを読み解くには本読みとしての熟練や忍耐がいささか必要となるだろう。goto文であちこち飛ばされる構造化されていない古いプログラム・ソースを読み解くような……さらに登場人物の名前を変数名になぞらえるならば、変数名がそもそもややこしくて覚えにくいうえに同じ変数名で違うものを示している箇所があってしんどい。

続く2章も精神的におかしくなってるコンプソン家の長男の思念があっちこっちに行くので(1章よりはマシ、というか2章までくるとその淀み具合に慣れてくる)ツラいのだが、そこを乗り越えて最後まで行くと「フォークナーってマジでヤベえなぁ……」と感嘆してしまうのだった。パワフルな小説だ。毎度、フォークナーの小説を読む度に語彙を失ってヤバいとしか言えなくなってる気がするが、とくに最後の第4章ででてくる黒人説教師(シーゴッグ)なんか、あれはなんなのだろうか。メイン・ストーリーに絡むようなものではないのだが、異常な熱量で終末論的な黒人の救済のヴィジョンが語られて、まったく、圧倒されてしまう。その部分だけ取り出しても「いま、なんかヤバいもの読んじゃってる!」と思った。

sekibang.hatenadiary.com

sekibang.blogspot.com

sekibang.blogspot.com

びっくりしたのだが、2006年に書いたブログ記事を確認してみたら、俺、この小説を途中で挫折したんじゃなくちゃんと読み通してるような形跡がある……(自分が信頼できない語り手になっている……)。