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文化的消費活動の日記

武満徹 『武満徹著作集 3』

80年代後半から90年代(晩年)のコンサート・パンフレットへの寄稿や新聞連載、映画についての文章がまとめられている。今なお続くサントリーホールのサマー・フェスティバルや武満徹が企画していた現代音楽祭についての記述は、失われたXX年以前の企業メセナに支えられた日本の文化的豊かさを思い起こさせ、ケージ、メシアン、フェルドマン、ノーノといった作曲家への追悼文は、この30年でクラシックになったものと忘れ去られつつあるものの明暗について考えさせてくれる。間違いなく今よりも豊かであったであろう環境のなかで、貧しさを知ることなく亡くなった作曲家の幸せもあろうし、今となっては理念なきメセナや外国人演奏家の招聘、あるいはコンサート・ホールの乱立に対してあれこれ文句を言ってるのは贅沢……といえなくもない。いくつかの文章では同業者に対してかなりガチな角度で批判を書いているのだが、そうした批判を忖度なしでぶつけられる公共圏のあり方も豊かさのひとつに思える。

こうした「今となっては……」の面白さが良い塩梅で熟成されている一冊……とも言えるのだろう。世界のグローバル化的なものに関して思いを馳せる文章もいくつかあるのだが、長い時間をかけていつかは世界中のカルチャーが均質化するに違いない、と論じる作曲家の感覚を牧歌的なロマンティストだと評価せざるをえない。しかし、その一方で真剣に東西の音楽のありかたについて考察した文章は今なお読む価値を感じさせる。マドンナやプリンスというポップ・ミュージックの評価や、膨大な量の映画鑑賞や読書には、そのジャンルによる別け隔てのなさだけとっても尊敬に値する。武満徹はすごい「文化人」だった、と改めて感じるのだった。