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文化的消費活動の日記

2023年12月8日、あるいは陰謀論と「ふつうの精神病」

5時に起きる。Hを幼稚園に送って朝イチのMTG中にリサーチをしてたらヤバめな事実を掘り当ててしまい苦笑。

昼ジム。背中、トレッドミル。デッドを100kgに下げる。1セット目で8REPいけた。

過去に「この人とは二度と絡みたくない」というヤバい人(そんなんばっかりだが……)と最近再び相まみえる機会を得た。交流しないあいだに事業に失敗して多額の資産を溶かしたとか苦労していたようだが、そうした苦労によって単なる老化だけではない老け方をしていて、やや哀れにも思う。まぁ、自業自得だろ、っても思うのだけれど(ざまぁみろ、的な)。

FさんのXより。思い出したのは精神病(≒ 統合失調症)の軽症化に関する指摘。数十年前から精神病の軽症化は指摘されており、1998年にジャック=アラン・ミレールは「ふつうの精神病」というタームを提唱している。

これは別にふつうの精神病というカテゴリーやら症状やらがあるということを意味するのではなく、現代の精神病者は並外れた extraordinaire 人ではなく、わりとふつうの ordinaire 人なので、神経症と非常に鑑別しづらいから気を付けたまえというようなふわっとした意味である。(『新・疾風怒濤精神分析用語辞典』)

「ふつうの精神病」の症状としての陰謀論への耽溺、という線は大いにあるだろう。片岡一竹による名著を紐解くと、ミレール派閥の精神分析家が、そのような軽症化の要因に〈父の名〉の機能の衰退をあげている、とあった。法を司る〈父の名〉の機能が衰退することによって、既存の法は別な法(陰謀論)にすり替えられる。これは〈父の名〉が排除され、「鉄の秩序」として現実界に回帰すること……ネットリンチなどに見られる「ダメなことをやっているのだからダメなのだ(ダメなことをやってるやつにはなにをやってもいいのだ)」という獰猛な倫理……と表裏一体であるように思える。

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