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文化的消費活動の日記

『武満徹著作集 4』

文化人類学者、川田順造との書簡集『音・ことば・人間』(1980年)と、大江健三郎との対談集『オペラをつくる』(1990年)を収録。いずれも異分野で活躍する人物との対話の本で、著作集の3巻を読んだときも感じたことだけれど、第一級の知識人と渡り合っている武満の教養の深さに慄く。こういう音楽家は、いま、存在しているんだろうか、とも思うし、昔の知識人の大きさ/豊かさについても考えてしまう(知識人、という存在自体がもはや絶滅した感じがする)。『オペラをつくる』のほうは、なんというかとらえどころがない本で(結局、武満徹はオペラを作り終えることなく亡くなってしまっている)どちらかといえば大江健三郎のほうが自分の創作についてさらけ出している気もする。面白いのは『音・ことば・人間』のほう。ここではときにグローバリズムにおける日本、みたいなことが語られているし、とくに川田が指摘している「日本が「外国」をどう受け止めているのか」みたいな話は、本書刊行から半世紀近くたった今の日本でもまったく変わっていない、と思う。端的にいえば、ヨーロッパ式の学問も、クラシックも「日本の文化」にはなっておらず、営み・生活、というレヴェルに落とし込まれていない「お勉強」にとどまっている、みたいな話。川田は義妹であるピアニストの小川京子との会話を紹介している。ヨーロッパの聴衆と比べて「東京だと、はじめからうまいかまずいか聴きに来られる感じで、それも外国から来演した、あるいはレコードになっている大演奏家の誰彼と比較したりしながら聴かれるので、弾きにくい」のだという。その嫌な感じは、今となってはむしろ強化されている部分があると思う。誰しもが批評的な、というか、レヴュー的な視点をもつ嫌さ。もっと普通に楽しめないのか。