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雑誌はのぞき、64タイトル(例によって良かった本は太字にした)。昨年の振り返りを見直してみたら「2022年は小説を書くぞ」という気持ちを記していたことが書いてあった。2022年に書いた小説は今年、千葉雅也の『エレクトリック』に触発されて公開させるに至っていた。
『エレクトリック』を読み終えて、自分も小説が書きたい気持ちになったので、まず去年書いていた50枚ぐらいの短編に手を入れて公開してみます。「デイドリーム」という小説です。パソ・コンさんとヘルスの高木さんに導かれるようにして書いた小説です。https://t.co/X7P0Tz2iws
— m.$.t.k. (@mk_sekibang) 2023年6月6日
「ルソー」、「精神分析」という近年の2大テーマに関する本は相変わらず読み続けていたみたいだ。なんか今年はブレイクスルーを感じることがなく、散漫な読書が続いていた気もする。「今年はこれが面白かったね!」みたいな本も思い当たらない……それは読んだ途端に内容を忘れてるからかもしれないのだが。
読んでから比較的日が浅い、ということもあるけれど『言語の本質』を個人的なブック・オヴ・ジ・イヤーとしたい。言葉と言葉が指し示す対象との関係は、完全に恣意性が有するものではなく、言葉の持つ響き/感触をキーにして記号接地している(しかもそれは全人類にある程度共通しているらしい)という話は、ソシュール以来の言語学の伝統、そしてそれを流用した現代思想の前提を覆すアイデアであり、とても読みやすい新書的な書きぶりのなかに衝撃が含まれている。
『言語の本質』にある脳科学的なアプローチ(要するに、物質的/器質的な脳の働き)は、『親指はなぜ太いのか』で見られる動物の身体を道具として捉えるアプローチにも通じているようにも思われる。またぞろ精神分析的な言葉遣いをすれば、物質/器質として人間を取り扱われたときの、「そのまま」感、というか、「丸裸」感、というか、「もう、そうなっちゃってる」感、身も蓋もなさ、には、言語を経由しないで現実界にアクセスされちゃっているような感覚を覚える。