sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

ロラン・バルト 『テクストの快楽』

 

1973年。後期バルトの特徴的な形式である断章スタイルで構成された『テクストの快楽』。形式については、千葉雅也の『ツイッター哲学』みたいな本、と思えば良い(思えば、この時期に千葉雅也の仕事には色濃くバルト的なものがあるし、それは現在の小説の仕事に受け継がれている)。バルトの著作のなかでも露骨にラカン精神分析に寄って書かれた内容だと思う。Le plaisir du texte、新訳では「楽しみ」とされている plaisir は、精神分析テクニカルタームだと分かる「快楽」、あるいは「快」のほうがハマっている。本書では、文字通りテクストの快楽が著者みずからの行為分析的な記述も含みながら詳述されることになる。テクストの悦楽 jouissance (これも「享楽」と読み替えたほうが良いだろう)との対比が繰り返しながら読み解かれるテクストの快楽(そして悦楽)は、テクストから離れた快楽そのもの、悦楽そのものと相互参照的だ。つまり、本書で語られるテクストの快楽(悦楽)を通して、快楽(悦楽)自体を知ることができよう。「快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快楽を与えるもの」、「悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの」(いずれの引用もP. 26)。あるいは、バルトは快楽/悦楽の関係性に既知のもの/未知のものを対比する。この対比を念頭においたうえで読む「スタンダールを読みながらプルーストを読む思いがする」という記述は、見事にテクストの快楽を言い表しているような。