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文化的消費活動の日記

ロラン・バルト 『ロラン・バルトによるロラン・バルト』

1975年に刊行されたバルト自身によるロラン・バルト入門的な一冊。「わたし」、「彼」、ときには「あなた」と人称を切り替えながら、自らのテクストで使われている概念の解説であったり、ときにはエッセイめいたものを書き綴っていたりする。やはり断章形式で、晩年のバルトの代名詞的なスタイルがとられている。冒頭はバルトの家族の写真や少年期・青年期の写真とコメントが続き、かなり自伝めいていた。本書と『明るい部屋』を繋いで読むのも面白いと思う。たとえば、バルトが気胸の手術をうけた際に切除した肋骨を机の引き出しにしまっていたというエピソードなど、まさにプンクトゥム的な感覚が表現されているように思う。

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音楽に関する言及も多く(バルトは幼少期からピアノに親しんでいた)、音楽家としてはリヒテルホロヴィッツの名前も出てくる。いずれも非常に個性的なピアニストだ。「わたしが聞いているのは彼らの演奏であって、バッハやシューマンではない」。非常によくわかる物言いだ。バルトは自分のピアノ演奏についてこんな風に綴っている。

さて、わたしがピアノをうまく弾けないのは ― 指を速く動かせないという、純粋に筋肉にかかわる問題にくわえて― 楽譜に書かれている指づかいをいっさい守らないからである。演奏のたびに、指の位置を即興でなんとか間に合わせるので、それゆえミスタッチをせずには何も弾けない。そうなる理由は明らかに、わたしが即時の音の悦びをもとめて、訓練の退屈さを拒んでいるという点にある。

太字部分は明らかにカッコよく言いすぎだが(要するにちゃんと真剣に練習するのがめんどくさいってことだろうが!)これもよく分かる。ほかにもSNS時代の予言めいた文章があったり(「発信者社会」)読みどころが多かった。アラフォーで読むバルトは本当に良い。