sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年7月5日、あるいは言論と運動

6時過ぎ。今日から日記に見出しとか設定するのをやめてみる。そもそも目次と見出しを使ってたのは、noteで日記書いてたときのなごりで、目次だけ無料で見せる設定にしてたからだった。いま全部無料世界で見せているので、設定している意味がなかった。

選挙の結果を確認する。小さな変化は起きたものの、これに甘んじず継続的な政治活動が必要なのだろう。まともなリベラルの受け皿となる政党が育って欲しい。見た目がキレイで共感を得られそうな落下傘候補を擁立しているだけじゃ、ポピュリズムと変わらないわけで。

筋トレ、背中、腹筋。

朝から打ち合わせで外出。

Love Has Found

Love Has Found

Amazon

昨夜の「Barakan Beat」で流れていた。メロウでアーバンなレゲエ。

打ち合わせ後、帰宅。強い眠気と戦うだけで、生産的な気持ちにならず。

デヴィッド・シルヴィアンのソロを繰り返し聴いて過ごしてしまった。これもジョン・ハッセルが参加している曲を「ウィークエンドサンシャイン」で聴いたのだった。

 Twitterで友達が推していた。LAのプロデューサーのアルバム。ソランジュやフランク・オーシャンとも絡んでいる人らしい。ほどよくメロウ。

夕方、糖質ゼロビール。白ワイン。

風呂。ストレッチ。

 これはもうその通りだという指摘だと思う一方で、言論のレイヤーの限界の話、というだけにも思える。資本主義反対、気候変動阻止、多様性支持について本気になって取り組もうとしている市民の、運動のレイヤーもたしかに存在している。意識の高い言論のレイヤーとはまったく無関係に。もう少し肌感覚から自分の考えを書くならば、たとえば、脱経済成長を志向するエコ・マルクス主義者がギャルソンのシャツを着ている、その思想とはおおよそ食い違うようにしか見えない態度を市民が見抜いているパターンもあれば、端的に物理的に届いていないパターンもあるのだろう。いずれにせよ届いていない。そのうえで「本当の意味で批判的であること」を追求するのであれば、ベタに運動のレイヤーに降りていくしかないのだと思われる。Twitterとか、選挙結果とか、投票結果に一喜一憂するモードは、もはやフェイクであり、限界であり、容易に冷笑として受け取られる。言論を運動のレイヤーに降ろすことでしかリアルな批判はありえないのではないか。この話は、言論と運動の断絶の問題としても捉えられそうだ。

note.com

インテリとヤクザの断絶の指摘をついこないだも千葉雅也がおこなっていた。言論と運動。このつながらなさは、政治の世界だけでなく、フェミニズムの世界(これも政治の話か)でも指摘できるだろう、し、むしろ、その分析を参照すべきなのかも。

「メロ夜」。ダイアナ・ロス(!)の新曲がモータウン・ライクで信じられないほどの強度をもった名曲。

2021年7月4日、あるいは書かなくて良い

小説をまた書けるようになったのは(まだできあがってないから、厳密には書けるようになってないのだが)書かなくても良くなったからというのがあるのだろう。実存をかけたチャレンジ、ではなく、すべて戯れとしてできるようになったから書けている感じ。

7時ごろ起きる。筋トレ、胸、上腕二頭筋

宅急便がくるのを待ちながらヴァイナルやテープを聴く。午前指定の荷物が13時近くに届く。

「サンソン」。ハガキ質問コーナーが面白い回。山下達郎のカッティングは誰を参照しているのか、など。

届いた雑誌を眺める。カルティエのタンク特集。数々のバリエーションを解説しておりありがたい。

夕方、糖質ゼロビールを飲みはじめる。Hが観ていた『魔女の宅急便』の最後でまた泣く。毎度同じところで泣いてるのでもはや条件付けされていると言って良い。

白ワインを飲みながら「Barakan Beat」。

ストレッチ後、さらに泡盛。風呂。

都議選の結果をチェックしながら寝た。

2021年7月3日、あるいはビアブラウンの復活

起床

8時前。夜中にiPhoneが大雨警報でけたたましく鳴りうるさかった。2度鳴った。朝食を食べながら「ウィークエンドサンシャイン」。ラジオをつけたらちょうどジョン・ハッセルの話をしていた。Hの上履きを洗い「世界の快適音楽セレクション」を聞きながら筋トレ。腹筋、下半身。掃除。

テンアライドの優待券が来てたので天狗へ。ビアブラウンが復活していて嬉しい!!

f:id:Geheimagent:20210703125924j:image

帰宅して昼寝。「Zガンダム」を観る。フォウがカミーユに「両親がいる人にはわからないでしょう」と言うその哀しさ!!

 
 
 
 
 
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夕方、酒屋へ。帰って今シーズン初のエアコンを稼働させる。

 
 
 
 
 
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白ワインを開ける。夕食とともに泡盛

ストレッチ。風呂。

なんか本を読む気にもならず映画。

ジム・ジャームッシュ 『パターソン』

 こないだ『アメリカン・ユートピア』を観に行ったときにジム・ジャームッシュのレトロスペクティブの予告を見て「そういえば、ジャームッシュって一本も観たことねえや」と。バルトの『偶景』みたいな映画だと思う。ロマネスク。あるいはシネマティク。最後のほうに永瀬正敏がでてくると、急に小津みたいなリズムになって笑った。

2021年7月2日、あるいはバーチャルと神経症

起床

6時過ぎ。筋トレ、肩、上腕三頭筋。天気が悪くて寝室に光が入ってこないせいか、Hが起きてこなくなる。

ピエール=ロラン・エマール / ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》ほか

 エマールの新譜がでていたので聴きながら仕事。なんか最近はまたクラシックが聴きたい気持ちになっている。ソナタよりも《エロイカ》変奏曲が良かった。

 ランニング用の長袖シャツのセール連絡があったので注文(色はブルー)。The North FaceのTシャツはたけえな、と思うのだが、すぐ乾くし、着心地も良い。

電話の仕事があったり。集中していたが、ハイレゾで音楽を聴くためのオーディオインターフェースについて調べてたら時間が溶けた。

 これを買ったらハイレゾできるらしい。ソフトウェアのイコライザーで音を変えられちゃうとかで、そんなのでチューニングしてたら時間が完全に吸い取られてしまう、と思った。しかもイコライザープラグインでいろいろ追加できる、という。探求が終わらないでしょ、それは。基本的なスタンスとしてはあんまり機材を増やしたくないし、調整の余地とかもいらない、機材の素の音を正解として聴きたいという気持ちなのだが、ソフトウェア化されることで一気に選択肢が広がってしまう。こうなるとアンプに機器をつないでいくのではなく、こういうオーディオインターフェースからパワードスピーカーにつなぐ、っていうのがシンプルな構成で正解な感じもする。

www.mfjtokyo.or.jp

この講演までに仕事を終える。ご飯を食べながら聴講。面白かった。糖質ゼロビール。泡盛

ストレッチ。風呂。

昼間、かなり根を詰めて仕事したので書く気にならず。映画を観る。

リドリー・スコットブレードランナー

 実は観たことなかった映画。観ているあいだにレムの『ソラリス』と話がごっちゃになってることに気づいた。なんかマルクス・ガブリエルみたいな話だと思う。

 時計の雑誌の第2号が出ていたのに気づいて注文。

2021年7月1日、あるいは雨の合間

起床

6時過ぎ。筋トレ、背中、腹筋。7月だ。

 先日亡くなったジョン・ハッセルのレコードについて坂口恭平さんがTweetしていたので注文する。結局、レコードか本ぐらいしか欲しい物がないんだな……。

Corneliusのリミックス仕事を集めたプレイリストを作って聴きながら仕事。

 
 
 
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一日中雨という感じなので、ランニングは諦める。関節を休める日、と考えよう……と思ったらいいタイミングで雨が止んだので5km。そういえば先月は走行距離95kmだった。

夕食とともに糖質ゼロビール、泡盛

ストレッチ、風呂。

sekibang.hatenadiary.com

 読了。プルーストにあやかってMacの壁紙をフェルメールの風景画に変えた(現存するのは2枚。『デルフトの眺望』と『小路』)。

次。これもだいぶ寝かしてしまった……。 

小説は2000字ほど書く。

『プルーストと過ごす夏』

 

元になっているのはプルースト研究者や批評家たちが自分の関心に寄せながら『失われた時を求めて』について語る、という2013年に放送されたフランスのラジオ番組らしい。素敵な番組だ。日本でも『源氏物語』とかヴォリュームがある本でやってほしいが、そんな番組は長いヴァカンスがあるからこそ文化的・生活的にマッチするのかもしれない。

「本国フランスでベストセラー! プルースト入門の決定版」と帯にはあるが、果たしてどうか。当然のことながら、あの長大な作品を読み通した人のほうが面白く読めるには違いなく、というか、まだ未読で興味あるんだったらさっさと集英社の鈴木道彦の訳で良いから読め!(解説があるなら入門的なテクストとしてはそれで十分だろ!)と思う。

良いなと思ったのは、各論者がプルーストの面白い部分や良い部分だけを抽出してくれているので、読者を悩ませるあの社交界のややこしい話や、ドレフュス事件がらみの記述などのダルい部分を読まずして「そうそう、そこが面白いんだよね」と確認できる点。なるほど、プルースト論の楽しみ方として、そういうのはあるな、って思う。再読しないで再読した気分になる、っていうか。

改めて思ったのは「プルーストはどこから読んでも良い」って書いてる人が多々いるけど(本書の訳者もあとがきにそう書いてる)それも大嘘だよな、ってことで。やっぱ頭から素直に読んでいくのが一番面白いよな。もう2周してるけど、また最初から読みたくなってきた。Kindleで新しい訳が全部出てほしい。

note.com

2021年6月30日、あるいは『アメリカン・ユートピア』

起床

6時前。やはり足の裏、ふくらはぎの筋肉痛がやや強めに出ている。筋トレ、胸、上腕二頭筋、腹筋。

ぽかっと予定が空いてたので仕事道具をカバンに詰めて外にでかける。

スパイク・リーアメリカン・ユートピア

デヴィッド・バーンのパフォーマンスを映画化した作品。このミュージシャンについては、Talking Headsの『Remain In Light』、イーノとのコラボレーション、あとカエターノとの共演ぐらいしか熱心には聴いてなくて……って感じで、そこまで俺は熱心なリスナーではないのだった(一番好きなミュージシャンにデヴィッド・バーンをあげる人も会ったことないが。そこには言語の壁もありそうだ)。正直「リベラルなインテリで自転車大好きのミュージシャンでしょ」っていう雑な理解でこれまで聴いてきたけれど、その理解がバッチリ正解だったことが映画を見てわかった。さらにいえば、そのデヴィッド・バーン性(デヴィッド・バーンネス)が最高だ! って思える傑作!
そこにスパイク・リーの作家性が掛け合わされることで映画は更なる強度を持ちはじめる。ジャネール・モネイのカヴァーを演奏しているとき、エンディング以外ではここしかない劇場の外部の映像が挿入され、それが観るものの感情を大きく揺さぶる。
編集も素晴らしい。おそらく2つか3つぐらいの公演の映像に、客を入れないでステージまでカメラを上げて撮った素材を繋いでいるのだが(素材の違いは、デヴィッド・バーンの髪の乱れ具合でわかる。整ってるときと、前髪が垂れてるときと、全体的に乱れているとき。カットが変わると急にデヴィッド・バーンの前髪が整っていたりする!)ギクシャクした感じが一切なく、一晩のパフォーマンスだと錯覚させるような仕上がりだ。劇中でデヴィッド・バーンが楽器にケーブルを使ってない、という話をしているが、キャメラがほとんど映らない(中盤、客席の(ステージから見て)左端の暗がりにちょっとだけ見切れてるのと、最後の方でちょっと写ってるぐらい)のと対比されるよう。視覚の自由を演出しているようでもある。それが舞台世界への没入を煽る。
本作から要点だけ抽出するなら、白人の年配の男性が皮肉っぽいジョークをかまし、BLMに言及しつつ「未来を変えるために選挙に行ってください(アメリカをユートピアにしようじゃないですか)」とお願いする映画になるのだが、それがなんと痛快な作品になるのか!

帰りに髪を切ったりする。映画はパルコで見たのだが、ちょうどパルコの目の前に坂本龍一が使っているメガネを売っている店があり、試着しにいってみた。似合ってはいたがもう少し顔が老けないと、売れてないお笑い芸人みたいでダメだな、と思う。

糖質ゼロビールを飲む。その後、フレシネ、泡盛

ストレッチ。風呂。

外を歩いたせいか猛烈に眠くなって寝かしつけのまま寝た。