sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

柳宗悦 『柳宗悦 茶道論集』

柳宗悦茶道論集 (岩波文庫 青 169-6)

柳宗悦茶道論集 (岩波文庫 青 169-6)

 

民藝運動創始者柳宗悦が茶道(のなかでも器に偏っているのだが)について記した文章を集めた一冊。冒頭の一編「茶道を想う」からなかなか面白くて。千利休に代表される初期の茶人たちは、物事の本質を直に体験する感性をもっていたのだ、というような話から始まっている。初期の茶人っていうのが、プラトンでいえばイデアとか、カントでいうところの物自体に直接アクセスできるような一種の超人として語られるのね。初期の茶人に比べると、最近の茶人は、思想だとか形式だとか伝統だとか流派だとか、物を見るためのフィルターや拠り所がないと物を見れてない。そんなんじゃ、ダメだ、利休に還れ、的なことを著者は言っている。要するに、これ、茶道のルネサンスみたいなものなんだな、と。

ほかにも「じゃあ、初期の茶人たちが尊んだ感性ってなんだったのか」みたいな話が面白い。とくに「渋さについて」という一編が良い。アメリカ人向けに「渋くてカッコ良いっすね」とかいうときの日本語の感覚を説明した話がもとになっているんだけれど、何気なく自分も使っている「シブいね!」の意味が解体され、腹に落ちる感じ。あと、柳宗悦の民藝といえば「用の美」じゃないですか。対して、柳宗悦の茶道論のなかには「茶室のなかだけで茶道やっててもダメ、茶室の外との連続性をつくるのがホントの茶道」っていう話があって。これ、民藝と通ずるな、と思いました。生活の中に美が置かれてる、っていうか。まさに「日常茶飯事」のなかにある美だな、と。