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文化的消費活動の日記

國分功一郎 『中動態の世界: 意思と責任の考古学』

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
 

ものすごく暴力的にざっくりと要約するのであれば

  • 人間のふるまいってだいたい能動と受動の2つにわけられるけれども、はっきりしないこともあるよね(カツアゲされてお金を差し出すのは、果たして能動? 受動)
  • 能動は自分の意思によってされているとみなされ、自分の意思が働いているから、そこには責任がともなう、とされている。でも、行動って100%が自分の意思によっておこなわれてるんだろうか

……などのテーマを「言語には能動態と受動態ってものがあるけども、今は忘れられた中動態っていうのがあって、それを使うと良い感じで表現できそうだぞ」というアイデアをもとに迫っていく本。大変に面白かったし、良い本だと思う。

まず、良いのは記述のやさしさ。だいたい英語の文法を普通に学んだ高校生でも頑張れば読めるであろう。あと、この本の、中動態っていう未知の概念を使って、表現しにくかったものが表現されていくっていうプロセスは、ザ・哲学って感じで。ガチ哲学系の本ってかなりひさしぶりに読んだけれども、言葉によって世界が拡張されていく感じ、とでもいうのか、刺激的だな、って思った。「こんなのタダのことば遊びじゃないの?」と冷めた高校生なら言うかもしれないけれども。

著者が一時期夜のニュース番組でコメンテーターをやっていたときに「この人は姜尚中の後釜を狙っている知識人タレントなのかな……?」などと思っていたのだが、こんな筋肉質(だが、読みやすい本を書く)人だったとは、と思って自分のなかの評価がガラリと変わった一冊である。あとがきに書いてある本書執筆の経緯なんか、古典ギリシア語を学び直した、とか、スピノザラテン語で暗記しようとした、とか、努力の証が開示されていて感激する。