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文化的消費活動の日記

相良敦子 『お母さんの「敏感期」: モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる』

 

将棋棋士藤井聡太が大きな話題になったことで再度脚光を浴びているらしい「モンテッソーリ教育」に関する本。著者は日本におけるモンテッソーリ教育の第一人者、ということである。子供には「敏感期」というのがあって、その時期の子供は、秩序にこだわったり、感覚や運動能力の方面がグッとセンシティヴになったりするんだけれど、そこを適切に、見守るように接してあげると、将来、自律/自立ができるコになるよ、という主旨。そのための方針や遊ばせ方などを紹介している。

タイトルの『お母さんの「敏感期」』とは、子供の敏感期に接するお母さんもまた敏感期、ということなのだが、いわゆるひとつのお父さんであるところのわたしにとっては若干居心地が悪い本である。本書にはモンテッソーリ教育に出会って気づきを得たお母さんの体験談が多数乗っているのだが、そこでの父親の役割の空気感が半端ないし、なかには「(モンテッソーリ教育にであって)子供との接し方が変わったな」と上からコメントしているお父さんもいる。これは素直に反面教師としたい。っていうか、俺も「敏感期」になりたいよ、と。

「敏感期を見逃してしまうと大変なことになるのでは……」と不安を煽られる人もいると思うし、実際本書のなかでそういう声がお母さんから上がっている、とある。著者は言う。「脳科学とかの見地からも、敏感期を見逃した部分の遅れはあとから取り戻せるので大丈夫!」と。ここにめちゃくちゃなマッチポンプを感じる。けれども、読んで良かった本だったな、と。お母さんたちからの声に共感できてしまったりして。

子供をよく観察すること。これがモンテッソーリ教育のエッセンスのひとつであるのだが、観察の過程で目撃した子供の表情とか、それを受けての親の感情とか、わかるし、もっとわかりたい、という気分になる。ドゥルーズ的な管理の形態……とか考えたりもするんだけれど。