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文化的消費活動の日記

ロラン・バルト 『喪の日記』

 

ロラン・バルト 喪の日記 【新装版】

ロラン・バルト 喪の日記 【新装版】

 

 わたしたちは日々なにかを失いながら生きている。時間であったり、若さであったり、お金であったり、体力であったり、さまざまなものを。時折、わたしたちは大きなものを失う。恋人との別れ。家族や肉親との死別。わたしたちは悲しみにくれる。喪の期間を過ごすこともあるだろう。

バルトは1977年にその生涯のほとんどの期間をともに過ごしてきた母を亡くした。その翌日から母の死から生じた生活の変化や自らの心情について綴った。2年あまり。その記録は320枚のカードとして残された。1980年、バルトは交通事故後の入院中に亡くなる。それから30年近くがすぎた2009年に残されたカードが編集され『喪の日記』として出版される。

余白の多い本だ。もともとバルト自身の手で編まれた本ではない。残されたカードは、バルトが生きていたら別なテクストのなかに組み込まれるはずだった内容だろう。ときに一言、二言、ごく断片的な言葉だけが並んだページもある。

喪の日々に訪れる悲しみ、苦しさ。本書でも幾度となく言及されているプルーストがその長大な小説のなかで表現したように、暗く、重い感情にバルトは、前触れもなく、思いがけない形で捕まえられる。たとえば、偶然に観たつまらない映画の細部に。喪の時間は、散発的に、持続する。

あえてとても嫌いな表現を使おう。実に、わかりみが深い。バルトが綴ったテクストは、まずはそのような文句を呼び起こすものとして現れる。というか、わたしの前に現れた。エヴァンゲリオンが終わってしまった世界において。あれほどまでに救われて欲しい、と願っていたアスカにあのような形で救済が訪れたとき、わたしの前に訪れた感情を本書は「喪」と定義づける。「彼女ガ生キタコトヲ忘レルナ」。