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文化的消費活動の日記

伊藤亜紗 『手の倫理』

 

 頭で考えることから離れて、身体のレベルから立ち上ってくるような感覚について考えてみたいような気がしていて、伊藤亜紗の仕事がその関心に近いのかもしれない、と思って読んだ……のだが、なんか違っていたかも。「さわる」と「ふれる」という触覚に関する日本語の意味の違い、ニュアンスの違いから、触覚から広がっていく倫理を検討していく本。(健常者にとっての)日常から、そうではないものまで多様な触覚世界、触覚感覚について言及されていて、それ自体は知らなかったものを教えてくれるし、端的に美学がこういう領域まで扱えるものなのかという驚きもある。のだが、自分的なハマらなさのポイントが、触覚がやはり体の表面からまずは感じ取り、あるいは感じ取られることだから、なのだと思う。本書で紹介されているヘルダーの言葉を借りれば「触覚=対象に「内部的にはいりこむもの」」ということだが、たぶん、自分の関心は逆で、内部から表面に発せられるもの、なのだろう。肌ではなく、体幹から湧き上がってくるもの。この著者の仕事についてはもう少し読んでみよう。