sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2022年1月7日、あるいは準備

6時に起きる。教会で結婚式をやることになっており(そんな事実はないうえに、11年前しっかり結婚式はやった)当日その用意がまったく終わらない、というカフカ的な夢を見る。

筋トレ、肩、腹筋。

Nightly News(1月6日分)。Capitol attackから1年。最近はこの事件関連のニュースも毎日報道されていたが、それほど大きな(大きく取り扱われる)事件だったとは思っていなかった。群衆が大挙して押し寄せガラスを破って建物のなかに入ろうとしている、まさに暴力が行使されているその現場の映像を繰り返し見ると、たしかに衝撃的だ。コロナ関連のニュースでは、CDCの検疫ガイドラインがサイエンスじゃなくて経済をベースに考えられているのでは?という専門家からの批判の声が紹介されている。

昼過ぎ、散歩にでると既に道路にはもう雪がなかったので自転車で再度出直し。実家に持っていくコーヒー豆を買う。

糖質ゼロビール。泡盛ソーダ with自家製レモン。

今年は徹底してキッチンをキレイにし続けようと思い、毎夕食後にガスレンジまわりを綺麗に拭いている。今のところほとんど汚れなし。コレをずーっと続けてみる。

ひさびさにオンライン将棋をやる。2勝1敗。いずれもはちゃめちゃな打ち方で勝った。一個読み違いで勝ちを逃したのが痛い。これ以上は定石を学んだりしないと強くなれないのだろうなぁ(今更すぎる気づきだし、勉強するつもりもとくにない)。

「セリー・ノワールの哲学」、「ドラマ化の方法」を読む。後者は発表の書き起こしみたいなテクストで、ドゥルーズ存在論のエッセンスに触れられている……ような気がする。潜在的/現働的、実在的/可能的のそれぞれの関係性。ここではプラトンの理念(イデア)が大きく取り上げられているのだが、理念は現働化する際に、異化(差異化)=分化(微分化)を経て現働的なものとなる、とドゥルーズは言う。なにいってんだ……って感じだ。
もう微分化(微分的)って言ってるときに、どういうことを言わんとしてるのか、っていうところが数学バカ(数学が好きすぎてバカみたいになっている、ということではなく、文字通り数学がまったくわからないバカである)にはわからないのだが、曲線のグラフの曲がってるところをずーっと拡大していくと直線に見える、その傾きを求めるのが微分(ググッた)なのだから、これを異化(差異化)と組み合わせて考えると、パッと見では同じに見えるかもしれないものでも、実際は違うんだよ、みたいなアナロジーとして理解できる、のかもしれない。だって、微分で求められる傾きも、キャメラを拡大から縮小(キャメラをロングに引いていく)と直線じゃなくなってるわけでしょ、だから「違う」ってことで、まあなんかアキレスと亀の話みたいに追いつけない違い、決して同一にならざる状態のことを指していそうな気がする。アドルノでいうところの捉えられない浮動的なもの、非同一性、みたいな話として理解した。あってるかどうかはまったくわからない。
で、これもあってるのかよくわからないのだが、理念(潜在的なもの)が現働化するとなにになるのか、って話で、これは個体になるってことなんだと思うが(めっちゃ中世哲学っぽいな……)タイトルの「ドラマ化」っていうのはどうやら、この理念→個体のプロセスにおいて「誰が、どのように、どのくらい」と問われること……ということで良いのかなぁ……。