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文化的消費活動の日記

2022年7月8日、あるいは不公平な死

4時半に起きる。首の調子はまだまだ良くない。夢のなかで医療用大麻を使って首の痛みを取ろうとしていた。医療用大麻がどんなものかまったくわからないのだが。筋トレ、肩、腹筋、下半身。首が痛くならないできることをやり込む。

Nightly News(7月6日分)。独立記念日の銃撃事件では、2歳の子供をもつ夫婦がいずれも亡くなっている(子供は父親が盾になって助かった)。痛ましい。その痛ましさがすでに寄付につながっていて200万ドル以上に上っているのだという。この繋がり方がアメリカ的に思うが(嫌な考え方になってしまうけれど)あまりの額の大きさに不公平さも感じてしまう。悲劇的な(?)死による孤児と日常的な(?)死による孤児との格差。妊娠中絶関連の話題では、スマートフォンなどで利用されている生理周期の管理アプリ(その他、性的にデリケートな情報を扱うアプリ)のデータが中絶が違法化された際に操作に利用されるのではないか、という懸念の声があがっているのだという。すごい角度からきたな、と思う。

7時台から仕事で電話。「戦いとは、いつも二手三手先を考えて行うものだ」という言葉が頭に浮かんでくる。

昨日届いたキップ・ハンラハンのCDを聴きながら仕事。めちゃくちゃ良いアルバムだなぁ。『Coup de Tête』のノー・ウェーヴ色は時代を感じさせるが、基本やっていることが変わらないがゆえに、まったく古びない。80年代の作品とは思えない。

昼飯前に期日前投票。昼は中華屋。その間に元首相が銃撃されるという信じられないニュース。日本史上、積極財政を唱えた人物はいい死に方をしていないことが多いのだが、まさか。精神分析的な人物と思っていたが、父親と同い年で亡くなる、というのもさらにその精神分析性をきわ立てる。いろいろやってきたが本懐めいた部分はなにひとつできていないのも精神分析的に思う。たどりつけなさ。

夕方まで集中して仕事。

クルーグマンTweetを興味深く読んだ。

夕食後、風呂後と断続的に仕事。