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文化的消費活動の日記

田崎基 『ルポ 特殊詐欺』

ノンフィクション・ライターの高橋ユキさんが昨年注目の一冊としてあげていらした本。筆者は神奈川新聞の司法記者でタイトルの通り特殊詐欺を追ったルポタージュ。

特殊詐欺を題材とした本には、本書と同じちくま新書から『老人喰い』という一冊がある。2015年の『老人喰い』が格差社会によって表社会から阻害された若者たちが犯罪へと加担し、社会の上層にいる高齢者たちから財産を奪う、ある種の階層間闘争として犯罪を描き、そしてその鮮やか(犯罪を称揚するようで問題があるかもしれないが、こうとしか言いようがない)な手法を描いたものだとすれば、本書は特殊詐欺(さらには強盗などの「闇バイト」)に巻き込まれていく社会的弱者(ないし、それに近い人たち)を中心に描いている。

なんの罪もない、清廉潔白な人物が犯罪に巻き込まれていく……という話ではない。本書で取り上げられている犯罪の主体にも、犯罪に加担する何らかのきっかけが存在する。金銭トラブル、借金……からの気の迷い、悪魔のささやき。そのような小さな悪意のようなものが雪だるま式により大きな悪意へと飲み込まれていく。そのプロセスがとても恐ろしい。おまけにその飲み込む悪意は、テレグラムなどのアプリケーションを通じてコミュニケーションをとってくる見えない存在者なのだ。

本書では「飛び」と呼ばれるほかの特殊詐欺グループが掴んだ金を途中で横取りすることを専門としたセミプロのような犯罪者も扱われているのだが、大半が「犯罪に巻き込まれた加害者」という奇妙な表現に収まっている。犯罪に巻き込まれるのは被害者であり、加害者が巻き込まれるのはおかしい、加害者は巻き込むほうだろう……それはたしかにそうなのだが、本書で凶悪犯罪に加担させられている加害者は、罪の意識を感じながら(ときには脅迫されながら)「やらされている」のである。

それゆえ、本書の書きぶりは捕まった末端の加害者には同情的であり、指示役の組織(暴力団や半グレなどのグループ。本書では暴力団が傘下の団体に対して送った、特殊詐欺をシノギとすることを禁ずる通知文が転載されているのだが、これも凄まじい文章である)を諸悪の根源のように描いているように見える。

ただ、犯罪の責任を外部の環境にも置いている筆者の書きぶりに対して、末端の加害者が大いに自責の念が表明しているところが本書の絶妙なバランス感覚を示しているとも言える。とくに拘置所で22歳の誕生日を過ごした若者の手記には、自分も巻き込まれているひとりなのに徹底的に自分の弱さを反省するところに……なんというか……悲壮さを感じなくもない。自己責任社会のディシプリンが内面化されてる! って感じだし、その傾向は犯罪に加担させられた軽度の知的障害者の親族にも見受けられるのが、いやな感じ……なのだ。

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