sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年8月5日、あるいは音楽の余白

6時半まで寝る。昨日から手のひらに謎の湿疹ができている。ちょっと痒い。加齢によるものなのかこういう肌トラブルが増えている。朝食を食べながら「ウィークエンドサンシャイン」を聴いていたら「Killing Me Softly」が流れる。Hが「この曲、知ってる。幼稚園で聴いた」という。ホントかよ。

朝イチでHを散髪につれていく。短髪に。帰りに喫茶店に寄って冷たいものを食べて帰る。その後、Hは水遊びに。自分は昼食の支度。

 
 
 
 
 
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届いていたレコードも聴く。

 

午後はディラーで車の納車半年後点検。帰りにレコード屋に寄り道。

 
 
 
 
 
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帰宅して買ってきたレコードを聴く。フルトヴェングラーリヒャルト・シュトラウスの(意外な)アクの弱さについて(Instagramに書いた)その音楽の同時代性、というよりも、音楽に残された解釈の余白の問題なのかも、としばらく考えていた。ベートーヴェンには余白があるが、リヒャルトにはない。それぐらいガチガチに作り込まれた音楽ということで、そのような音楽がカラヤンの音楽と相性が良いのは納得がいく。解釈がどうのこうの、というよりも、優れた演奏があれば成立してしまう世界。味付けなしで食べられる料理。

 
 
 
 
 
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最近坂本龍一ばかり聴いてたせいでドビュッシーを聴いても坂本龍一だ、と思ってしまう。

 
 
 
 
 
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