sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年10月4日、あるいは「わかってない側からのわかり方」

4時半に起きる。4時に起きられたら今日も朝ジムだ! と息巻いていたのだが強い雨も降っていて断念。昨日痛めた首はまだそこそこ痛い。寝違えたような痛みで温めているとかなり改善する。葛根湯が寝違えにも効くという情報を得たので飲んでみる。

昨晩の大谷翔平の偉業を讃える番組を観て思ったこと。大谷や三笘の野球やサッカーに対するストイックさは賞賛すべきものだが、あのように自分の仕事だけにすべてを注ぐような生き様、野球教・サッカー教に殉ずる聖人のような生き方を良しとしてしまって良いものかは疑問である。教科書向けの人材ではあると思うのだが、彼らのようなストイックさを身につけても全員が全員成功しない、という現実はあるわけだし、野球だけ、サッカーだけの人生の危うさもある。卵は全部同じカゴにいれるな、みたいな話。子供がひとつのことにのめり込むことは良いことのようになっている気がするが、その方が親が楽、ってことかも知れず、本当に子供が将来困らないようにするには、もっと多動的に色々やることを推奨したほうが良いのかも、とも思える。もちろん、いろいろやらせること自体に資本の問題が絡んでいるわけだが……。

ふと思い立って、はてなブログを有料プランにしてみる(2年契約)。広告が一切でなくなってスッキリ。ある時点から広告収入が超しょぼくなったのでGoogle Adsenseなどは辞めてしまったのだが(広告収入よりもよくわからん広告がブログに表示されているストレスのほうが大きかった)これでより快適になった

KさんのXから。俺もコード理論とかわかりたい、としばしば思うのだが、そういうのは「男の料理」的なのではないか、という気もする。やらない言い訳でもあるのだが……こないだ日記に書いたが、ギターはすごい楽器で、いくつかのコードの指の形さえ覚えてしまえば、それがどういう名前のコードなのか一切わかってなくても、曲っぽい形を探ることができる。新しい指の形は好きな曲のタブ譜を見たり、手探りで見つけることができる。魔法のようなインターフェイスだ。ピアノの鍵盤の配列は、記譜法とマッピングされているがゆえに探れない。もう少し言うと、ギターではなぜ探れるのか、はギターの有限性に基づくのだろう。弦が6本しかなくて、それがレギュラーチューニングなら4・4・4・長3・4度で並んでいる。その配列が音楽的に聞こえる響きとつながりやすくなっている。さらに言えば、レギュラーチューニングではないチューニングにすることによって、手探りの仕方を変えることができるのもすごいことだ……というのようなことを考えていたら、あらためてコード理論なんていうのは、ひとつのパラダイムに過ぎない、とか思う。友人・知人にはプロの音楽家もいるのだが、そうした「わかってる方」にはわからない「わかってない側からのわかり方」みたいなものもあるのではないか、みたいにも思う。

ジムを経由してオフィスへ。首の痛みが心配されたが動かしてるうちに良くなる。社内でITに関する研修などを実施。基本情報の午前問題みたいな話を脱線に次ぐ脱線をまじえながら説明していく。アナログは波、デジタルはその波を符号化したもの……みたいな。

まとまった金額のAmazonギフト券があったので帰宅しながら散財。

随分前からホカのシューズを販売してるデッカーズの株を持ってたのだが(米国株)ようやくシューズのオーナーになることができそう。いま履いてるアシックスのシューズ(NOVABLAST。ホカのデザインをパクッたようなやつでヒールの部分がちょっと長いデザイン)がソールの耐久性ありすぎて買い替えるタイミングがなかった。