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文化的消費活動の日記

ベンジャミン・ピケット 『ヘンリー・カウ: 世界とは問題である』

個人的な思い出話から書きはじめる。2002年の夏、高校で心血を注いできたオーケストラ部の最後の定期演奏会バスーン奏者として出演し終えた翌日、だったと思う。同じ部活の2つ上の先輩を頼って、受験しようと思っていた池袋の大学見学を理由に上京していた。もちろんその理由はあくまで口実にすぎず、本当の目的はディスクユニオン、とくに新宿プログレ館にいくことだった。中学2年ぐらいから洋楽を聴くようになった俺は、なぜか70年代プログレッシヴ・ロックにハマっており、ホームページの時代のインターネットを頼りにして*1オタクの道を加速させていた。そんな当時の自分にとってプログレ館とは巡礼すべき聖地のようなものだったのだろう。

先輩(この人はとくにプログレに興味はない)に案内してもらいながら、当時はBEAMSの裏辺りにあったプログレ館、地下の店舗、に足を踏み入れたとき、ちょうど流れていたのがHenry Cowの『Unrest』だった。

Unrest

Unrest

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即座に「なんですか、これ!?」と店員に質問して購入を決めたのは、「不安」という邦題に暗示されるとおりの不穏な雰囲気や複雑な変拍子……と、とにかく今までまるで聴いたことがない音楽が展開されていたからだ。もちろん、自分が打ち込んでいた楽器のバスーンがここで使われていたことも大きな要素としてある。あの日、あのとき、あの場所で、このアルバムに出会わなかったら、MassacreやSkeleton Crewを聴くこともなかったし、フレッド・フリスから大友良英の音楽にジャンプすることもなかっただろう。自分にとってHenry Cowとは、そういう大きなきっかけとなるバンドである。

というわけで600ページ弱、6000円(税別)というなかなかのヴォリュームの本書が翻訳されると知ったときには「絶対買います、読みます」となるほかない。著者はコーネル大学の教授。音楽ライターが書いた本、とかでなく、研究書として書かれたものだ(研究助成金も授与されている)。Henry Cowの研究書。完全に「そういうのもあるのか」の顔になってしまう。

ヴォリューム満点なこともあり、これからこのバンドについて詳しく知りたい人がもしいるならば(いるならば)、まずはこの本を読めば全部わかる。バンドだけじゃなく、レコメンディド・レコードやRIOというバンドにまつわる重要なキーワードについても「そういうことだったのか!」と長年ふんわりとしか理解してなかったことがよくわかった。大資本のもとで保護されて活動してきたわけではなく、機材調達やらツアーの移動やらブッキングまでインディペンデントでやってきた活動模様も非常に先駆的に思える。

ただ、やっぱり商売はとにかく下手くそだった、というか、共産主義/マオイズムにかぶれていたこともあって、むしろアンチ商売的なところもあった、が、ゆえに金銭的な問題がバンドにはつきまとい、さらには男女混合のグループであったがゆえの人間関係の問題*2もあってメンバーが疲弊していき、ついにはバラバラになってしまう。レコード会社(マイク・オールドフィールドが大当たりしていたヴァージン)にもまともに相手をしてもらってないし、1968年から1978年の活動の期間で成功してる瞬間がはっきり言って一個もない。こんなんでよく10年もやっていたな、って感じである。あと、バンドの”晩年”ともいえる1977年には英国芸術評議会から助成金を受け取ってギリギリ破産を免れたことが書かれているが、反体制とか言いながら国から金もらってんじゃねーか! どう整合性とってんだ、とか思う。

ヴォリューム/価格だけでなく、読み手を選ぶ本ではある。メンバーだけでなく、バンドのツアーなどに帯同していたテクニカル・スタッフのバイオグラフィー、さらには関連性の強いバンド(Faust、Slap Happy、そしてMAGMA*3)についても詳述し、詳細な楽曲分析も折り込みながら、メンバーの活動/生活や思想と当時の社会状況なども絡めて物語る、一種の音楽社会学的な著作なのだが、難しい話が手に余るHenry Cowファンも多かろう。そういう意味でも「こんな本、俺が読まなければだれが読むのか!」みたいにもなってしまう(まかせろ!)。

さまざまな音楽美学的な概念を使いながら、Henry Cowの独特な音楽性を分析している箇所は読んでいて腑に落ちる部分も多かった(とくに即興がどのようにこのバンドの音楽に組み込まれていたのか、それがジャズの即興や、デレク・ベイリーのような即興とはどうちがったのか、など)し(個人的な評価とも関連するのだが)「なぜ、『Unrest』よりあとのアルバムに自分が興味をもてないのか」もわかった気がする。

*1:OFFICE CHIPMUNK。当時よく見ていた、どころかプリントアウトしてまで熱心に読みこんでいたサイトがまだ残っている。素晴らしいことだ

*2:書かれていないトラブルもたくさんあるらしいのだが、本書を読むとフレッド・フリスがめちゃくちゃ女癖が悪いように読めてしまう。結婚しているのにリンジー・クーパーと関係を持ち、ダグマー・クラウゼとも関係を持ち、ライヴでの音響担当をやっていたジョン・グリーヴスの妻とも関係をもち、さらには妻の方をバンドから追い出す、というはちゃめちゃぶり

*3:個人的な思い出話に戻るが、『Unrest』を買ったその日にMAGMAの3枚組のライヴ盤も買っていたはずだ、ということもあり、本書でMAGMAにそこそこページが割かれているのは嬉しかった