sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

エルネスト・H・カントーロヴィチ 『王の二つの身体』

中世政治思想史の名著を復刊のタイミングで読む。読んだことには読んだのだが、20世紀前半の知識人、って感じの格式ある文体に加えて、大変情報量が多いのでとても読みこなせたとは言えない……けれどもところどころは面白く読めた。

たとえば下巻に入ってすぐにはじまる、国家の永続性に関する記述。ヨーロッパでは13世紀以降に国家の永続性が認められ、それまで(事実上定期的だったとしても)一回性のものだった課税にも定期性が認めれるようになった、みたいな話が出てくる。ホントかよ、とも思いつつ、その永続性の観念とアリストテレス主義やアヴェロエス主義との並行関係が指摘されている。そして、13世紀より前のヨーロッパの不安定性が気になってきもするのだった。

与太話に過ぎないが、昨今、中世哲学に注目が集まっているのも、中世が永続性を認められないほど不安定な、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)……VUCAな時代だったからなのでは、みたいなことも言ってみたくなる。

王の二つの身体、つまり王の生身の・物質的な・生まれたり死んだりする自然的身体と、そうではない不滅の政治的身体、それらが神学や哲学との関連のなかでどのように成立したか、が読み解かれている。そこで問われていることを大きく捉えるならば、すべて権力の話だ。権力という目に見えないものが、身体の延長から認められるようになる。そのプロセスのなかでは人民もまた権力に取り込まれていく。権力者の側から見たこの力学を、民草の側から読み替えるならば、権利の話になるだろう。たとえば、所有権。自分の持ち物に感じる、自分の痕跡。それらもまた身体の延長からくるものだと考えることができる。政治思想史の本としてだけでなく、タイトル通り身体(から延長されたものに関する)論としても読める一冊。