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文化的消費活動の日記

斎藤幸平 『マルクス解体: プロメテウスの夢とその先』

正直、本文の8割(え? マジかよ、って感じの誤植が序盤からあって、読んでて「これ大丈夫な本なの?」って思うのだが)『大洪水の前に』となにが違うんだ、って感じ。やってることは「これまでのマルクス学者はマルクスを読み間違えている、評価しそこなっている、出版されていない遺稿や大量のノートを読むと、こんなことが言える!」という学者的な仕事であり、まー、マルクス解釈に興味ある人じゃないと、こんなのまったく興味を持てないであろう……『大洪水の前に』ではマルクスのエコ思想を発掘していたが『マルクス解体』ではマルクスから脱成長コミュニズムを発掘しており、終盤では「テクノロジーの革新によってみんなハッピーになれるんだ!」的なテクノロジカル・ユートピアを批判し、脱成長コミュニズムに従ったポスト資本主義社会を描こうともしている……のだが……別にそのポスト資本主義社会って、マルクスから掘り出さなくてもよくねえ? って感じであって、端的に言って徒労感が多い読書だった。平たく云えば、一部による富の独占はやめて、コンサルや広告代理店みたいな(本書のなかでこうした職業が名指しされているわけではない)ブルシット・ジョッブは捨てて、みんなが得意な領域でコミットしながら、嫌な仕事は平等に分担してやっていきましょうよ、みんな仲良く!! だもんなー。それをギャルソンが好きです、藤原ヒロシが好きです(対談もしてる)って言ってる筆者がいえんのか、っていう。なんだっけ、あの北欧の電気使わないガキのほうがまだ筋通ってんじゃないの、みたいな引っ掛かりが拭い去れない。